『花ざかりの森・憂国 三島 由紀夫』は中二病をこじらせた結果の本

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軽いのから重いのまで

テーマが中二病でストーリーがあれこれ、キャラクターは三島由紀夫的人物。三島由紀夫作品は軽いのから重いのまで色々あって、でもそれらが全部三島由紀夫っぽいんだと思う。共通点はカッコイイものに対する強い憧れ。だから人間臭くて、ある意味中二病なんじゃね?

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死因、中二病

どうやら本人的にも『花ざかりの森』はイマイチらしい。まあ若い頃に書いた話を年取ってから見ればそんなもんだよね。創作なんてのは全て、勝てば名作、負ければ中二、的な部分があると思う。その点で『花ざかりの森』は中二病を隠しきれていない雰囲気。いずれにせよ16歳でこれはすごいけど。

僕としては『女方』が最も良かった。個人的にオカマが気になってしょうがないのでその分のプラス要素が大きいかも。あの後どうなったのか興味津々。ピエロで終わるのか、ちょっとは夢を見られるのか。いずれによせ負け確定勝負なのが良い。

移転に伴い昔の記事を見返すことが多いんだけど、どうやらオカマについて書いた最初の記事が『Hello,CEO. 幸田 真音』っぽい。そこから10年位経つけど、基本的に考えは変わらない。手に入らないものに憧れ、もがく様子が人間そのもの、ってことでオカマが気になるんだと思ってる。

『Hello,CEO. 幸田 真音』でオカマのあれこれが気になる
『Hello,CEO. 幸田 真音』で個人的に気になったのは仲間の一人のオカマ。実際にオカマに会ったことはないが小説や映画に出てくるオカマが気になってしょうがない。絶対に叶わない望みを持ちそれでも何とかしようともがく辺りがとても人間っぽい。

その他は『百万円煎餅』なんかも良いよね。普通に楽しく読んでいたのに、突然ちゃぶ台ひっくり返されるような展開がたまらない。さらに多くを語らない辺りも好み。『職業としての小説家 村上 春樹』にもある「説明しない」みたい。匙加減の問題もあるし、それがまた個性で面白い。

「職業としての小説家 村上 春樹」で新しい勘違いゲット
「職業としての小説家 村上 春樹」を読んで「説明しない」に注目。知ったこと、考えたことはついつい説明したくなるけど、あえて説明しない人間を目指したい。考えがあって黙っているのか、何も考えていないのか。わかる人にはわかる、……それも勘違い?

『遠乗会』みたいなのも好き。解説に「コント」なんて言葉が出てくるけど、たった一つの事柄を表すためだけに用意されたセットみたいで潔い。「寸鉄的な物言い」には前提の共有が必要なんだと思う。その点でいえば『銃 中村 文則』もラストのためだけに存在する的な雰囲気で似ている。

『銃 中村 文則』で社会適正が気になった|ぶん殴られたような結末
『銃 中村 文則』はストーリーが大学生転落人生物語でテーマが社会適正。ラストがすごかった。このままありきたりに終わるのか、それともつまらなく前向きに終わるのか。なんて思ってたらぶん殴られたような結末だった。消臭可能だなどと思わないことだ。

逆によくわかんないのが『憂国』。たしかに凄いしエロいんだけど、死ぬ意味がわからない。奥さんとか乃木希典の殉死はわかる、気がする。でもこの話の主人公とか三島由紀夫本人の切腹はわからない。だって主人公は会社に行くのが嫌で死んだみたいなもんじゃね?

この辺りは社会によって評価がガラリと変わりそう。当時の感覚でいえば美談だったんだと思う。三島由紀夫の方は当時ですら怪しい。死因は何かと考えると、中二病をこじらせて切腹、なんてことになるのかも。

そう考えると小説家や芸術家なんてのはやっぱり怖い。暴れ馬を無理やり乗りこなし自分の力に変えるタイプの人がわりといる感じ。けど何かの拍子に御しきれなくなって暴走。中二的お話だとご都合主義で使いこなすけど、現実では体を壊したり、精神的に病んだりする。あな恐ろしや。

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文学とは何か?

ここから先は僕の中二病の話。文学とは何か?について。僕は理系人間だから、この問いに対する答えを知らない。多分文学部の人とかだと最初の頃に習うんじゃね? 何世紀にはこの考えが主流だった、現代はこういう意見がメインでそれに対する反論があって、とかそんな感じ。でも習ってない。

習ってない事にも利点があると思っている。誰かに聞いて知った気になるのではなく、自分の頭で考える、ってのを念頭に置き、調べてすらいない。「純文学とエンターテインメントの違い」についてもそう。これは『雑文集 村上 春樹』の時に調べて、結局ハズレだったけど。

『雑文集 村上 春樹』で物語をめぐる戦いには謙虚さが不可欠と認識
『雑文集 村上 春樹』で牡蠣フライの話が気になった。どうやら小説家は悪い奴らと戦っているらしい。人間が物語のお世話になった時から、ずーっと続いている戦いと見た。一方的に決めつけることがヤバくね?ということでこの本もやたら謙虚なのですよ。

ということで今回はコパイロットさんに聞いてみた。まず「純文学とエンターテインメントの違い」についてはだいたい僕の認識と同じ。「純文学はテーマが重い・抽象的、ストーリーより心の動きや表現が中心」とのこと。……十数年かかって一般論にたどり着いた、と考えると悲しいけど。

お次は本題、文学とは何か?⇒文学とは「言葉によって人間の経験・感情・世界を深く表現し、読む者に新しい理解や感受をもたらす営み」です、とのこと。文学についても僕が考えた定義と同じ。……十数年かかって(略)。

続けて、根拠、証明は?と聞くと「特定の一人の学者が“証明”したものではなく、文学研究・批評・哲学の歴史の中で積み重ねられてきた“共通理解”の集積です」だってさ。その後、アリストテレス『詩学』 、ロマン主義、ロシア形式主義、構造主義、日本の近代文学論などが例示された。

これに対して、僕は「文学とは何か?」について、文系と理系の違いから考えた。詳しくは以下『侏儒の言葉・西方の人 芥川 龍之介』の読書感想文を参照。わりとありきたりな発想だから、ギリシャとか古代中国とかで誰かが同じことを言ってるんだろうけどね。

『侏儒の言葉・西方の人 芥川 龍之介』ってネタ帳じゃね?と思った
『侏儒の言葉・西方の人 芥川 龍之介』は言語的な方程式であふれている。方程式を示すために最適な環境を整えて、最適な登場人物を配置して、最適な事件を起こすと小説になる?「唯ぼんやりとした不安」をやり過ごしていたら、小説が書かれていたかも。

上記のように考えると「科学は自然を数学で表す」と「文学は人間を言語で表す」の対比が出来上がって、理系人間としてはしっくりくるのですよ。などと自己満足しています。

三島由紀夫の小説は明らかに文学だ。さらに言うと三島由紀夫自身も非常に文学的だ。言語を超えて、行動においても人間臭い。「中二病をこじらせた男ここに眠る」なんて『美しい星 三島 由紀夫』みたいな碑文を書こうと思ったら、いかにも人間的な美点がいくつでも出てきそう。

『美しい星 三島 由紀夫』の碑文が残るなら人類は滅んでも良くね?
『美しい星 三島 由紀夫』のストーリーは変なSFでテーマは地球人。この本の碑文はどうしようもない。なんであんな支離滅裂な事柄で人間を見事に表せるのか。わー何これー、面白そー、と思って不用意に近付いた僕のような素人がガブッとやられる。

などと今日も余計な事をあれこれ妄想して満足。……最初の方で好き嫌いをわりと書いたから、いつもに比べれば読書感想文っぽい? 毛並みの違いが大きい、色々なタイプの三島由紀夫作品に触れることができてお得な良本です。

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