『寺内貫太郎一家 向田 邦子』で寺内貫太郎殺人事件犯人が気になる

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ミステリーじゃないけど

テーマが寺内貫太郎でストーリーが寺内貫太郎、キャラクターは寺内貫太郎。気が短くてすぐ手が出るわりに、思いやりがあって優しい。でも素直になれない不器用親父。ある意味魅力的なんだけど、現代日本には存在しえない。となると気になるのは、誰が寺内貫太郎を殺したか、だ。

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非現代的な変人小説

現代日本に寺内貫太郎がいたらどうなるか? まず子供への虐待で自動相談所がやってくる。奥さんは緑の紙を召喚し、老人虐待で通報、従業員にはパワハラで訴えられ、娘の恋人に被害届を出される。情状酌量の余地があるとしても、これだけ揃うとキツイ。

そうは言っても魅力的なことは事実。もちろんその源は寺内貫太郎の人間味にあるのだろう。あまりたくさん読んでいるわけではないが、向田邦子は『思い出トランプ』みたいにエピソードを収集していたのでは。実の父親なんだから間近で、人間臭いあれこれを集めていたんじゃね?

『思い出トランプ 向田 邦子』そのものが獺祭図の産物
『思い出トランプ 向田 邦子』はストーリーが人生いろいろで、テーマが獺祭図、キャラクターはちょっと変わった人。向田邦子本人がかわうそな気がする。いたずら心満載で集めたあれこれが向田邦子のまわりにたくさん並ぶ。まさに獺祭図だ。

人間臭さのネタは寺内貫太郎からあふれ出している。あとは向田邦子独特の茶目っ気たっぷりな文章で言語化すれば、それはもう立派な文学作品が出来上がるわけだ。文学の個人的定義については『侏儒の言葉・西方の人 芥川 龍之介』読書感想文を参照。

『侏儒の言葉・西方の人 芥川 龍之介』ってネタ帳じゃね?と思った
『侏儒の言葉・西方の人 芥川 龍之介』は言語的な方程式であふれている。方程式を示すために最適な環境を整えて、最適な登場人物を配置して、最適な事件を起こすと小説になる?「唯ぼんやりとした不安」をやり過ごしていたら、小説が書かれていたかも。

さらに言うとこの本は、寺内貫太郎という当時としても絶滅危惧種な人間を中心に据えた、変人小説だ。変人小説はだいたい面白い。放っておいても変人が勝手に動いて事件を起こしてくれるから、話が進みやすい。

加えて周りも大体変人だ。寺内貫太郎を育てた母親、ずっと連れ添っている奥さん、育てられた子供たち。まあそりゃあ変人にもなるよね。それぞれが勝手に問題を起こすからドタバタが始まって、テレビ的な面白さも十二分だ。

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犯人は誰だ?

ではなぜ魅力的な寺内貫太郎がいなくなったのか? そりゃもちろん暴力、ハラスメントがNGだからだろう。だとしても、他を残せば良くね?ってのが謎。気が短いけど思いやりがあって不器用な人間ってどうよ?

と思ったけど気が短いのもダメな予感。普通の状態からイライラ状態に変化するまでの時間が短い、ってことだからこれもコンプライアンス的にアウト。『イラスト図解 脳とココロのしくみ入門 加藤 俊徳』など様々な本に書かれている通り、脳トレによって短気を直す必要あり。

『イラスト図解 脳とココロのしくみ入門 加藤 俊徳』で充実確定
『イラスト図解 脳とココロのしくみ入門 加藤 俊徳』で記憶はクラウド的って理論が最高に気に入った。宇宙の果てにレコード屋があるらしいがどうやらオンデマンドサービスみたいだ。オカルト的発想と最先端の考え方に似た部分があるのがたまらなく面白い。

結果、思いやりがあって不器用、だけが残る。……うーん、なんか弱い。アリっちゃアリなんだろうけど、変人小説の主人公としてはイマイチ。そもそも聖人君子の話は人間味に欠けるのであんまり面白くない。キャラクターとしては絶対に寺内貫太郎のほうが魅力的だ。

いずれにせよ寺内貫太郎殺人事件の犯人は我々だったんだよ! 我々の社会的要望が寺内貫太郎を殺したんだ! ってことで一件落着。などと思ったんだけど、前提条件に戻って考えると、そもそも寺内貫太郎が存在していたかどうかが怪しい。

まず、オレに似てるなって共感した人含め、本人の立場で考える。気が短い」って短所を、「不器用」という便利な言葉でフォローできる。もう一つ大事な「思いやり」に関しては「不器用だから表せない⇒思っているだけでOK⇒何もしない」ってパターンもあり得る。

次に、寺内貫太郎に振り回される周囲の人間。これまた不器用」でフォロー可。素直に表せないだけで「根は思いやりあふれる良い人」と勝手に解釈することができる。紐で縛った一斗缶探してきてくるような、行動で示される思いやりがあればいいけど、なくても「不器用だから」でOK。

このような「思いやり」にかけるニセ寺内貫太郎は、周囲と共依存の関係を作り出しそう。本人も周囲も、現状のままでOK、っていう最も楽なパターン。それぞれ、自分にとって「ためになる」状態だ。『嫌われる勇気 岸見 一郎、古賀 史健』の赤面症の話を思い出す。

『嫌われる勇気 岸見 一郎、古賀 史健』で自己啓発まっしぐら
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見 一郎、古賀 史健』は極論だと思う。アドラー的理想を厳格に実践して波風立てまくるよりも、現実の生活を優先させる必要がある。現実ばっかりだとあまりにもアレなので理想もしっかり持ちたい。

それでもこの本のように、実際のところ「思いやり」にあふれていれば問題ない。しかし、現実的には「不器用だから」でフォローしているだけなニセ寺内貫太郎が多そう。そもそも向田邦子も「仕立て直し」と言ってるくらいだし、ある程度美化している。

共依存は孤立しそう。「不器用だから」で済ませてくれるのは依存している人間だけだ。よっぽど他に魅力がないかぎり、共依存の外にいる人は「あいつヤバくね?」とか言って距離を置く。こうやってニセ寺内貫太郎は緩やかに死んでいく。

周囲の人はある日突然目が覚めるかも。そうなると離婚届なり引っ越しなりでやっぱり距離を置く。「主人は不器用だけど、本当は優しい」で済ませていた女性が、ある日本当に優しい男性に出会って混乱する、なんて話はいくらでもありそうじゃね?

そう考えるともともと寺内貫太郎は幻想であり、ニセ寺内貫太郎は自滅したんじゃね? 一部の希少な寺内貫太郎(本物)がいたとしても、時代の流れによって淘汰された。これこそが事件の真相な気がする。

一連の流れを役に立てる方法があるだろうか? まずは脳トレによって「気が短い」を直し、寛容さを身に着けることが前提。次に「不器用」って言葉が危険だ。「思いやりを素直に表せない」⇒「不器用」という言い訳から脱却する必要がありそう。

何も今すぐ器用になる必要はないが、向上心が必要。向上心さえあれば現状「不器用」でも良くね? 具体的にはアンパンを買ってきて投げつけるような「不器用」さ。そのあたりも含め、寺内貫太郎の魅力なんだと思う。なんとも人間臭い、しかし最早失われてしまった世界の良本でした。

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