エッセイ

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『ハードボイルドに生きるのだ 向井 万起男』の著者がスゴイ

『ハードボイルドに生きるのだ 向井 万起男』の著者みたいな人は面白い。人と違った考え方をしているしそれを実践したエピソードも面白い。近くにいるとちょっと‥、って場合が多いが観察対象としては最高だし本だったらなおのこと危害がない。
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『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな 高橋 源一郎』

『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな 高橋 源一郎』は本の話を枕にしたエッセイ、あるいは最近のあれこれから本の話に入っていくエッセイ、って感じ。このブログは前者の系統だと思ってるんだけど、引き出しの量が段違い。流石のひとこと。
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『文学なんかこわくない 高橋 源一郎』で比喩って重要だなと思った

『文学なんかこわくない 高橋 源一郎』のテーマは文学、だろうか。文学に関して不勉強なので手に取ったが、答えが書かれていない。まだ答えに満足していない、ちょっと待っててください、とある。20年以上前の本なのだが今現在はどうなのだろうか。
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奥さまは毒舌―農家の長男と結婚したら…すごいよ! 青月 ぱそる

『奥さまは毒舌―農家の長男と結婚したら…すごいよ! 青月 ぱそる』はブログ日記の書籍化らしくインターネットの読み物としては十分面白い。でも本で読むと野次馬的面白さ以外にも何かしら欲しくなる。小説だったら良かったのでは、と思ってしまう。
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『超人計画 滝本 竜彦』で誰が何と言おうが小説家は超人だと思う

『超人計画 滝本 竜彦』は不思議な本だ。次の作品が書けないからエッセイでリハビリする、という世間の認識からズレた目的で始まる。しかも脳内彼女とか出てくるし。でもどこか懐かしい。気が付けばこの文章は2000年前後のネットの感覚なのだ。
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『日曜日の読書 阿刀田 高』で読書について考えた|テーマは読書

『日曜日の読書 阿刀田 高』のテーマは読書。どう考えても好みの問題でありそれぞれのメディアに優劣はない。後はコンテンツか。自分好みの面白い話がそのメディアで存在するか、ってことだろう。個人的には学ぶならテレビ、問うなら本、みたいな?
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『侏儒の言葉・西方の人 芥川 龍之介』ってネタ帳じゃね?と思った

『侏儒の言葉・西方の人 芥川 龍之介』は言語的な方程式であふれている。方程式を示すために最適な環境を整えて、最適な登場人物を配置して、最適な事件を起こすと小説になる?「唯ぼんやりとした不安」をやり過ごしていたら、小説が書かれていたかも。
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『不道徳教育講座 三島 由紀夫』を読んでアノマロカリスを思う

『不道徳教育講座 三島 由紀夫』は一般に正しいと言われることを否定し、本当に正しいことは正しいと、おかしなことは変じゃね?とはっきり言う。反対の仮定からアプローチする話だ。ユーモアとふざけた雰囲気でデコレーションした面白くてためになる本。
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『星を見た金魚 高橋 洋子』は面白旅行記+俳句で変わってて楽しい

『星を見た金魚 高橋 洋子』みたいに作家が色々なところに旅行に行って、美味しいもの食べて楽しい事して感じたことを書く、って本は多い。なので作者の文章、というか人間的面白さが決め手となるが、この話は+俳句。物事の描写や形容が個性的で楽しそう。
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『紅一点主義 林 真理子』はスケール違いの華やかな生活が凄い

『紅一点主義 林 真理子』はその華やかな生活に圧倒される。普通の作家のエッセイでも編集者と食事とか、友達と旅行とか面白そうな事ばっかりしているが、この本はスケールが違う。誰々と食事、の誰々が大物政治家だったり世界的な有名人だったりするのだ。