キツネにつままれた感
テーマは虚構、ストーリーは境界世界物語でキャラクターは混濁しちゃった人。解説に書いてあった「奇妙な味」というのがしっくりくる、独特の味わい。読んでると何が何だからわからない、キツネにつままれた感があり超個性的。

奇妙な味
阿刀田高先生に褒められたことがある僕が通りますよ。そのあたりの経緯は以下「Kindle本始めました」の記事に詳しく……、と思ったらさらりとしか書いてなかった。『日曜日の読書 阿刀田 高』にもチラッと書いてます。


いずれにせよ僕は褒められた。そのうち雑誌にメールでも送って公開しても良いかどうか聞こうと思ってます。阿刀田高先生のコメント公開は無理だろうけど、かなりしっかり褒められているのですよ。嘘じゃないですよ。当然雑誌は宝物です。
褒められて喜んでいるくせにほとんど読んでおらず申し訳ない。ここ10年以上、読んだ本はだいたいブログに書いているのに上記一冊のみ、しかもエッセイ。ホントすみません。初かもしれない小説の感想としては、前述の通り「奇妙な味」。かなり独特。
独特さの源泉はどこにあるのか? ひょっとしたら村上春樹と似ているかも。『職業としての小説家 村上 春樹』に書いた通り、僕はテーマ要素とストーリー要素の割合で純文学とエンターテイメントを区別できると思っている。『ローマへ行こう』も割合がちょうど良い気がする。

つまり純文学みたいに味わい深く、エンターテイメントみたいに面白いって感じ。上記の考えかたは割合のみで区別するので、大きさはどうでも良い。なので『ローマへ行こう』みたいな両方大きい小説は読む人間を混乱させ、奇妙な味を残すのかもしれない。
全ては虚構
『サピエンス全史 ユヴァル・ノア・ハラリ』によれば全ては虚構である。この「全ては」ってのが難しい。だって虚構があるからには現実がありそうだ。でも「全ては」だから現実すら虚構。そんなことってありえるの?


結局我々は本当のことを知らない。外部から得た物理量を、個人的フィルターを通した感覚量に置き換え認識しているわけだから、純粋な現実を得られない。そう考えると全ては虚構。そんな調子で『ローマへ行こう』の中には虚構と現実が混ざった話が多い、っていうかひょっとして全部?
これは面白いよ、でもって怖いよ。さらに虚構だからそもそも小説の根幹にかかわる話だよ。読んでいるとやたら「脳味噌」という単語が出てくる。『一生頭がよくなり続ける すごい脳の使い方 加藤 俊徳』他によれば、脳味噌はわがままでサボり魔だからイマイチ信用が置けない。

特に怖いのがご都合主義の記憶改ざんだよね。そんな書類知らねーよ、って思ってたら、明らかに自分で作ってハンコ押した書類が出てくることがどれほど多いか。この歳になると現実と虚構の混濁は日常茶飯事だ。
あとは「不老不死」に関する話題も多い。『第三の道』他で何度か解が提示されるが、何しろテーマが虚構だから、この解すら虚構って主張されている気がしてくる。あるいはその逆。虚構は不老不死なのかもしれない。エジプトの墓荒らしみたいに、虚構は目標となり世代を超えて受け継がれそう。
読んでて思ったのだが細かい部分がやけにリアルだ。旅行の場面、ちょっとした心境などのいくつかは、ご本人の経験に基づいていそう。そうするとどこまでが阿刀田高先生の経験で、どこまでが虚構かが気になる。っていうか混ざってるだろうからテーマをさらに補強する。
作品の中でたくさんの殺人を書いてきたベテランミステリー作家が、小説の中の出来事か、実際に人を殺したのか混濁する。そんな話ってありそうじゃね? すでに書かれているのかもしれないね。実際に似た話が出てくるし。
あるいは熱烈なファンがキャラクターに自己投影して「殺された気になる」or 「実際に殺されていた」を混濁する。殺されたキャラのファンが憤っているのか、本当に知人を殺されて憤っているのか本人にすらわからなくなる。なんてのもありそう。良い本は妄想を刺激するから困る。
好みが分かれるかもだけど、あまり多くを説明せず、謎のままで止めている点も魅力。余韻を残す、的な? ということで読んで面白く、さらには妄想が止まらなくなる良本。いやー、凄い人に褒められちゃったなー。





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