*「晴耕雨読その他いろいろ」(2017/6/28)投稿記事の修正転載です
「雉猫心中 井上 荒野」を読んで不倫物はつくづく共感できないと実感(2017/6/28)
不倫の話はどうも共感できない。と、書こうとして以前にも同じような事を書いたのを思い出した。そして気が付けば著者が同じだった。
僕が不倫に共感できないのは日本人だからだろう。もし一夫多妻制とかの国に生まれていればちょっとは共感できたのかもしれない。っていうかそもそもそんな世界では不倫を題材にした小説はあまり発達しないのかもしれない。
家族を捨ててまで一緒にいたい、という女性にこの先ひょっとすると僕は出合うのかもしれない。でもちょっと考えられない。妻だけとの比較ならまだしも+子供となったら太刀打ちできないだろう。4対1だよ。無理でしょ。
不倫ではないが、好きな人が出来た、と恋人に別れを告げた知り合いがいた。運命の人に会った、とまで言ったそうだ。そういう事もあるだろう。運命の人、とはどのようなものだろうか。我々は地球上でただ一人、最も自分にふさわしい人間と出会い結婚するのではない。
適齢期にたまたま身近にいた異性から選ぶのだから多くて数十人だ。さらによく知っている相手でかつ、お互い良いと思っている、なんて条件が追加されれば選択肢は数人になるのでは。
世界中にたくさん異性がいる中の数人なんだから運命でしょ、と言えないこともないが、運命だなんて重々しい言葉には不似合いなほど選択肢少なくね?何となく偶然の方がしっくりくる。
よく知っている相手、ってのが曲者で、実は知らないだけで結婚した相手よりも気の合う異性は掃いて捨てるほどいるのだろう。でもそれを探すのもダメ。
保険の契約とかだと条件や会社の見直しがある。会社だと常に条件の良い契約相手を探すのは推奨されてさえいる。結婚相手の場合、見直しやより良い条件の相手を探すのは不倫の出発地点となってしまうのでは。
その割には効力が強い。死が二人を分かつまで、なのだから契約期間も長い。趣味嗜好が変わったり性格が変わったり色々あるのだが死ぬまでの契約だ。考えれば考えるほどとんでもない契約だ。死ぬまで見直しダメ!だなんて商品をどこかの会社が売り出せばたちまち問題になるだろう。
でも結婚の場合常識として僕の頭に刷り込まれている。おそらく結婚は対個人や対会社のような契約とは違い、社会的契約なのでは。子孫繁栄の根幹であり社会秩序を守るためだから効力強い、契約期間長い、見直しもダメ、なのだろう。
分かっちゃいるけどやめられない、が人間であり、その様子に共感するのが小説の楽しみだと思っている。その点で恋愛は最大の題材だろう。と頭では思うのだがやっぱり不倫物は共感できないのだよ。ここら辺が僕のような一般的小市民の限界かと。
↓僕は一体何枚ウロコあるんだか。

↓ぶっちゃけ僕って今これやってるよね。書いたり読んだり。

↓オカマには影がある、ゲイはもうちょっと割り切ってるイメージ。あくまで個人の感想。



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