ガラパゴス的な山
著者の話を編集者が咀嚼して書いたって話だけど、それでも難しい。話としては「確からしいこと」と「そうかもしれない」がたくさん出てきて、柔軟な壁に囲まれた個性的な街、あるいはそもそも境界がないガラパゴス的な山を覗き見た気分。

源流に近そう
本書『バカの壁』を借りた理由は超邪道。『ベストセラーだって面白い 岡崎 武志』を読んで、『バカの壁』は養老孟司の難しい話を、編集者が咀嚼して書いた聞き書き的本だと知った。

僕は最近AI聞き書きと称してKindle本を作っている。ってことで聞き書きに興味津々なのですよ。『バカの壁』なんて超有名本が聞き書き!? マジで! とか思ったけど、考えてみたら実用書で聞き書きってわりとたくさんあるよね。

これってやっぱりその道の第一人者とか、レアな体験をしている人がわりと変人だからかもしれない。変人の話は面白いけど一般人に伝わりづらい⇒翻訳者が必要⇒聞き書きなんだと思う。単純に文章書くの苦手って人もいるんだろうけど。
などという変な理由で借りてきたが、本の内容的にも面白くないはずがない。そもそも世の中の一般常識に縛られない変人の主張は面白い。さらに僕は脳トレ大好き人間なのですよ。ドリルもゲームもやったし、日常系もあれこれ実践してみた。


おそらく何度かブームがあって、『バカの壁』は脳科学的裏付けを意識した源流に近いところに位置しているんだと思う。もっと昔になると頭の体操とかその手の本が出てくる気がするけど、その頃はまだ娯楽的要素が強く、裏付けが薄かった予感。
まあどこかで明確に何かが違っているわけじゃないんだろうけど、それにしたって脳トレ好きとしては気になる本なのですよ。もちろん脳トレ好きじゃなくても楽しめる。だってこの先生めっちゃ変人で常識をガンガンぶっ壊していくし。
各論としては納得したり、そうでもなかったり色々ある。決定的に違うだろ、と思ったのは「個性は肉体に表れる」的な記述。嘘でしょ、この本なんて肉体一切無関係で超個性的じゃん、などとツッコまずにはいられない。
山菜探し
わりと曲解が多いと思う。昔の有名な書物を例として持ってきて、「この部分の解釈はこう」みたいなのが出てくるんだけど、「そういう見方もあるかも」くらいな感じだったりする。確認のしようがないので、言いたい放題じゃね?
このあたり僕にも身に覚えがある。僕の場合、世の中の楽しみは努力と共感の2つだけだと思っている。ある日論語を思い出し、……最初の2つが努力と共感じゃん! 僕の考えの裏付けがとれた! なんて喜びましたよ。こういう「ふーん、そうかもね」が『バカの壁』にもたびたび出てくる。
これはある種の山菜探しだ。自分の考えが先にあって、それに合うように読める部分を見付ける、みたいな。山菜は最初全然見つからないけど、慣れればすぐ目に付く。アンテナが高くなったってことだよね。
ということで僕には著者が山に分け入り山菜を探す、じゃなくてこの人の場合昆虫を探しているイメージが浮かんできた。別にディスってるわけじゃなく、世の中と関わるには絶対に自分フィルターを通す必要があるので、これしかないと思っている。
あんまりにも曲解がひどく、何でもかんでも自分の考えと合うように決めつけちゃうのはおかしい。でもある程度仕方ない。そのバランスが難しいんだと思う。でもって著者はわりと謙虚なので、バランス良さげじゃね? 好奇心が強い人間はたいてい謙虚だよね。
このバランスが壁の柔らかさを決めている気がする。硬い壁は外との交流が難しく、拡張もできないので孤立して街が廃れそう。柔らかい壁なら交流が自由で、拡張も容易な気がする。あんまり柔らかすぎて根無し草でもない限り、柔らかい壁の方が良い予感。
僕らは壁の中に街を作っていくんだと思う。なるべくリラックスできて、居心地が良い街。そう考えると『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上 春樹』みたいだ。じゃあ脳の壁は骨とか膜とか? いずれにせよ著者の街は個性的で刺激が多そう。

ここで壁の恐ろしいところは見えないって点じゃね? 壁の内側にいる間は壁があることを認識すらできない。壁を越えたときにはじめて、壁があった事に気付きそう。崖登りで視点が変わる、って話が出てくるけど、似たようなイメージだ。
だとすると僕的には壁ってよりもっと曖昧でなんとなく回れ右してしまう境界を思い浮かべる。居心地の良い山があって、山から出ない。出られない、であり、出ようともしない。僕の山には自分勝手な妄想がはびこり、たくさんのおいしい山菜が生えている、……と良いなぁ。
著者の山は独自進化を遂げた、ガラパゴス的な昆虫であふれてそう。僕ら読者はその個性的な昆虫を垣間見て、面白さに感銘を受けるわけだ。その面白さこそが、この本がベストセラーとなった理由なんじゃないかなー、などと妄想しました。変人好きな人におススメ。


コメント