*「晴耕雨読その他いろいろ」(2022/4/15)投稿記事の修正転載です
「それから 夏目 漱石」は近代的焚火ウサギ(2022/4/15)
ストーリーが高等遊民姦通物語でテーマが自己犠牲。友達に好きな人を譲る。昔の人って、このパターン大好きだよね。このあいだの川端康成もそればっかだった。っていうか夏目漱石が好きだったからみんなも好きになったの?
近代的焚火ウサギ
なんとなくこのパターンは焚火ウサギを思い出す。昔々、たぶん手塚治虫のブッダで読んだウサギが焚火に身を投じるシーン。これが自己犠牲の究極だと思う。なんだけどどうにも童話っぽさ、宗教的な説法っぽさがある。
エピソード的にこれ以上広がりにくいし。だいたい自分を食べさせる、ってのが現代ではあんまりないだろうし。飛行機事故とかならある? どっちにしろストレートすぎて心理的背景よりも事実のほうに目が行きがちになりそう。
たぶん戦争の頃とか、現在進行形で戦争してるところだと似たような話があるのだろう。戦友の犠牲のおかけで助かった、助けてくれた人が身代わりに、とか。この場合納得できる解はひとつ。助けてくれたアイツのために、精いっぱい生きよう! これしかない。
アイツよりオレのほうが死ぬべきだった、なんて悩んでもいい。悩んでもいいけど、最後は覚悟して前向きに進むべきだ。これはもう予定調和。このパターンを肉体的なものから精神面に移したのが、恋愛における自己犠牲じゃね?
そのほうが近代的っぽい。食う寝る遊ぶの三大欲求とも密接にかかわる愛情を抑え込むことは、動物的な側面からの脱却にもつながりそう。さらにいえば物語も広げやすい。焚火に身を投じたウサギは再登場しにくい。でも愛情を譲った人間はいくらでも再登場可。
実際それが火種になる。動物的、前時代的な愛情を抑え、人間的、近代的な友情を取った。でも愛情にも人間的な側面があってデモデモダッテ、ができる。こりゃ人気なパターンなわけだ。面白そうだから、いつの日か僕もこのパターンに手を出してみたい。リアルでじゃないですよ。小説でですよ。
でも今は無理。難しくて手が出せないし、そもそも恋愛経験乏しいし。なにより今どきスタイルじゃない。たぶん何かひと工夫必要な気がする。
攻めた方がよくね?
ということで僕が気になるのは、この状況になったらどうすればいいか? だ。僕の場合、そっくりそのまま同じ状況にはならないと思う。今さら親友があらわれて妻をくれと言ってきたら、びっくり仰天だ。愛情うんぬんの前に子供が三人いるんですけど……、と絶句するだろう。
精神面、肉体面どころか現実的な物質面って意味で無理。そうじゃなくて葛藤状態。コッチもいいけどアッチもいい、両方一遍は無理って状態。こういう時の目安は大変なほうを選ぶ、だと思ってる。いや、僕自身出来てないけどね。
なんだけど、判断を誤る場合がある。たとえばこの話の場合、友情を取る方が耐えるって意味で大変だ。これは困った。何か新しい基準を設けなければ。そこで考えたのが攻めてる方、って基準。籠城戦はツラいのだよ。
この話でも主人公がもっと攻めてれば結果が違ったんじゃないかと思う。恋愛で攻める。積極的に好きな人にアプローチする。たとえ友人に譲るとしても代わりの何か、それこそ新たな恋愛、趣味とか仕事にのめり込むとか。
……うーん、発散しすぎてとりかえしがつかなくなってきた。この話は難しい。もっと深く考えなければならない。話的には書生、兄、嫂が魅力的。深くて暗い話なのに挫折しなかったのは彼らのお陰。面白くて考えさせられる文句なしの良本です。『門』にも手を出したいが、大変なのでしばらく無理。
↓編集者が噛み砕いてくれてるらしいけど難しい。

↓青年漫画的なイメージで面白かった。

↓面白かったけど難しすぎた……。



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