*「晴耕雨読その他いろいろ」(2017/9/22)投稿記事の修正転載です
「神去なあなあ日常 三浦 しをん」を読んで結局はその人次第だよね、って思った(2017/9/22)
ストーリーは王道イヤイヤ物、テーマはなあなあ。無理矢理にしろ思ってたんとチガーウにしろ、イヤな仕事、部活、その他諸々に打ち込んでいくうちにいつの間にか好きになってました、って話はつくづく王道だ。
全てが思い通りに行く人なんていなくて皆何かしら不満を感じながらも日常色々頑張っているわけだ。その辺りがこの王道パターンに共感を感じる原因なのだろう。小説の場合ここに恋愛が絡むことが多い。たまに会う美人とかちょっと良さげな先輩とか。この辺りも王道。
でもって当たり前だがその境遇にピタッとハマるかどうかは結局は主人公次第だと思う。しかも二通りあって主人公と境遇の相性が良い場合、もう片方は主人公の順応性が高い場合。
前者はアレだ、主人公がその分野における天才的な才能を持っているとか。少年漫画とかに多そう。この場合そもそも分野が限られる。
後者の場合主人公はどんな境遇でも結構何とかやっていける。最初は嫌だったが俺はこの仕事/部活で本当に良かったと思っている‥、と感動的に終わるが実はどんな分野でもそう思えたのかもしれない。
この話の場合後者な気がしてならない。なあなあ、の意味がイマイチ分かっていないのだが、あんまり深く考えないで気楽に行こうぜ、くらいな気がする。もしこの認識が正しければ登場人物で一番なあなあなのは主人公だ。頑なに風習を守る村の人よりある意味なあなあなんじゃね、って思う。
なあなあであり負けず嫌いで努力家な主人公は、どんな境遇でもやっていける。この話は林業だが、マグロ漁船に放り込まれても、ヤクザの世界に飛び込んでもおそらくこの主人公はやっていける。でもってそこで心の支えになる楽しみやら目標やらを見付け着実に成長していけそうだ。
反面こんなことを考えてしまうと最後の感動が台無しになる。これこそ俺の天職! 運命だ! って大団円のシーンに対して、でも他の分野でも良かったっしょ? ってことになる。あ、あくまで一般論ですよ。この本の話じゃないですよ。
でもだからこそ共感を集めるのだろう。大抵の大人は自分に天才的な才能があるとは思っていない。なので天才的才能パターンは非現実的と認識されてしまう。一方順応性パターンはまだ何とかなりそうだ。
かくしてイヤイヤながらも仕事/部活に取り組む王道小説では、高順応性主人公が共感を集められそうだ。自分には何かとんでもない才能があるのでは‥、とちょっと期待している人には天才的才能主人公が魅力的に見えるのかもしれない。
僕はすでに天才的才能を期待するような年齢ではないのでできれば高順応性の方が欲しい。こんなアホなことを考えないで普通に読んでも面白いですよ。王道小説が読みたい人におススメ。
↓ガンガン道具と環境に頼りたい。

↓意地張ってないで優先順位を考えたい。

↓考えずに進めて楽だなー、とか思ってたら詰むパターンに注意。



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