『長崎乱楽坂 吉田 修一』でちんちんの大きさ比べから脱却したい

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流石

テーマがちんちんの大きさ比べでストーリーがそれにまつわる紆余曲折、キャラクターが比べる人たち。縦軸がそれで横軸が主人公の淡い恋心……、と書くと甘酸っぱい雰囲気が漂うが、だいたい同性ってあたりが吉田修一の真骨頂。流石のひとこと。

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ある意味呪い

この間読んだ『本当のことしかいってない 長嶋 有』に出てきて気になった。やくざの話なんてあったっけ? 妻が好きで吉田修一の本は結構家に置いている。『長崎乱楽坂』も持っていて、読んだはずだけど全然覚えてないなー、ってことで再読した。

『本当のことしかいってない 長嶋 有』でプロの考えが見えてくる
『 本当のことしかいってない 長嶋 有』は書評集らしい。でも書評ってよりは、本の話を枕に持ってきたエッセイみたいな感じ。ファンなら必見。あるいは僕みたいにそれほどでもないけどー、な人にとっても、プロの考えを垣間見られるのは面白い。

まず大前提として吉田修一はおしゃれ作家。しかし何と言ってもオカマ、ゲイが素晴らしいと個人的に評判。都会のおしゃれ生活を描きながら、しかし彼は実は……、的な展開が魅力的。『国宝』? まだ読んでませんよ。

僕が興味あるのはオカマでありゲイではない、とずっと思っていたのだが、『長崎乱楽坂』を読んで考えを改めた。オカマもゲイも両方面白い(ただしお話限定、リアルは違いますよ)。厳密に言うと定義を見直した。

個人的に「オカマは悩んでいるけど、ゲイはあんまり悩んでいない」って定義だったんだけど、「オカマもゲイも両方悩んでて、公表しているかどうかの違い」に変更した。ここ数年で存在感を高めたLGBTが「あんまり悩んでいない」枠に収まると考えたからだ。個人的見解を表にすると以下の通り。

悩み公表
オカマ悩んでいる公表している
ゲイ悩んでいる公表していない
LGBT悩んでいないどちらでも可
意味のない個人的定義

プロに聞いたら全然違うかもだけど、少なくとも個人的に小説を読むときには、今後この定義で考える。ちなみにLGBTだって悩みはするだろうけど、ある程度割り切ってしょうがないと考えている、的な感じです。後世になるほど世の中が寛容になった影響、みたいな?

『最後の息子 吉田 修一』は才能駄々洩れ感ハンパない|センスの塊
『最後の息子 吉田 修一』のストーリーはオシャレ日常色々でテーマは日常。この本に出てくる話は全て日常系。でもそこにあふれる才能感がハンパない。もう駄々洩れレベルで。ともかく文章が凄い。そしてこれが日常系との相性抜群。そこが良い。
『春、バーニーズで 吉田 修一』でオカマ成分充填|個人的最高傑作
『春、バーニーズで 吉田 修一』はストーリーがおしゃれ生活でテーマが過去あれこれで主人公が一昔前おしゃれ男子。強がるんだけど弱くて自分で弱さを知っている、でもしょうがない、みたいな。だからちょっと突っ張ってもすぐに引いちゃう。そこがいい。

『最後の息子』や『春、バーニーズで』など初期のイメージがあまりにも強いので吉田修一はオカマが得意に思えるが、前述の勝手な定義で考えるとゲイが多い。上の方で書いたけど「実は彼は……」ってパターンはだいたいそう。『ひなた』なんかがそんな感じだよね。

『ひなた 吉田 修一』はヤバい|ひなたはそこら中に転がっていそう
『ひなた 吉田 修一』はストーリーがオシャレ系男女四人物語でテーマがひなた。必ず日はかげる。かげることがわかっているなら、どうするべきか? この先に解はないと薄々わかりつつも居心地の良い場所を離れられない。それって誰の身にも起こりそうだ。

『長崎乱楽坂』でその手の表現は多くない。多くないけどそういう目で見るとだいたい各話に一人、気になるっぽい同性が出てくる。そう思う前は「何が蟹だよwww」であり、ただ単に子供がいたずらされているだけだったが、そう思ってみると意味深だ。これが横軸なんだと思う。

縦軸はちんちんの大きさ比べ、イコール意地の張り合い。大きさ比べなら見りゃわかるし微妙ならものさしを使えばいい。けど意地は見えない。見えないからこそ負けを認めることは難しく、逆に言えば認めない限り負けない。ただし、負けたら惨めに転がり落ちるし、そもそも勝ち続けることはできない。

ということで冒頭シーンが非常に重要じゃね? 大きさ比べもそうだし、そもそもお風呂の順番に大きな意味があるなら、あれは下剋上の瞬間な気もする。こういうのを何気ないふりして実行するのもまた、ちょっとした大きさ比べだ。

主人公と叔父は大きさ比べに参加しない。おそらく大きさではなく、別の観点からちんちんを見てしまったからだと思う。この辺りもまた、オカマではなくゲイと感じた理由だ。しかし大きさ比べはある意味で呪いっぽい。参加しなくても、見ていた人間にまで影響が及ぶ。

だからこそ主人公も叔父も、別の形で意地を張ってしまったのでは。唯一助かったのは、幼くてあんまり覚えていない弟。大きさ比べという観点で見ると単行本の表紙イラストが怖い。腰のあたりで銃を持ち、弾倉を開いて打とうか打つまいか考えてるっぽいポーズが意味深じゃね?

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呪いを回避したい

だとすると、どうすれば大きさ比べの呪いから抜け出せるだろうか? 別に僕ら凡人はそんなん目の当たりにしたことなんてないが、意地は張ってしまう。無駄な大きさ比べを回避するためにはやっぱり優先順位を決めることが重要と見た。

もちろん大きさが最重要と判断するならとことんこだわれば良い。でもそうじゃないなら、もっと大事なものに道を譲るべき。親vs自分の人生、仕事vs家族vs趣味、色々な比較検討が存在しそう。さらには程度も違うから難しい。

基本方針として「親vs自分の人生」なら「自分の人生」を優先する、と決めたとしよう。でも「親が破滅しそう」vs「自分の人生がちょい不自由になる」ならどうよ? などなど状況は千差万別、その上時々刻々と変化するから厄介だ。

難しくて厄介だけど、優先順位を決め、行動しなければならない。「行動しない」と決定して行動しないなら良いけど、ぼやぼやしているうちにタイムアップは避けたい。日常のちょっとしたあれこれ、趣味の投資、人生の大きな決断などなど、規模は違えど方針は同じ予感。

小説の内容に関して言えば、吉田修一超面白いなってあらためて実感。前述のテーマ、ストーリーの縦軸横軸なども凄いけど、「説明しない」がともかく魅力的。けど意味深だから、妄想が捗りページをめくる手が止まらない。こりゃあ『国宝』も期待できますよ?

三人称視点の小説ってなんかよくわかんないなー、って思ってたんだけど、書いてみたくなった。「話の内容が苦い」、ではなく「婆ちゃんが焼いたサンマが黒焦げ」とか客観的で良くね? 書くって言ったって、書くのは僕じゃなくてAIなんだけどね。

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