『潮騒 三島 由紀夫』は圧倒的すれ違い恋愛小説|本歌取りの神髄

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*「晴耕雨読その他いろいろ」(2018/11/23)投稿記事の修正転載です

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「潮騒 三島 由紀夫」は圧倒的すれ違い恋愛小説(2018/11/23)

ストーリーが正統派純愛もの、テーマはすれ違い。三島由紀夫には魂削って書いた小説と軽い気持ちで書いた文章がある、と聞いたことがある。僕の大好きな不道徳教育講座は明らかに後者。じゃあ前者を読んでみようと考え借りてきた。

すれ違い恋愛ものとなると主人公が優柔不断なラブコメ的印象だが全然違う。主人公が朴訥だからこそ最後のすれ違いが印象的。どうやら異色作らしい。ものすごく素直で正統派な純愛もの小説。ただしそれでは終わらない。古典が下敷きにあるとか。

何かちょっと都合良過ぎじゃね? とは思っていたのだ。ヒロインピンチの下りとか最後の大団円とかあれ?ってくらい素直に解決。正直そこだけ喜劇ではないか、と思ってしまったくらいだが昔々の話なら納得。古典的なお話だったらそういうのありそうだよねー。

で、気になってしまったのだ。古典の方も同様にすれ違いがあるのだろうか? もし僕が真面目な文学青年なら借りてきて読み、確かめるのだが不真面目な中年なのだよ。

気持ちは分かる。たった一回の経験で自分がそれまで満足していたものが物足りなく感じる。ああ、あれは良かったなぁ、とついつい考えてしまう。ありそうだ。一度贅沢したら二度と戻れない、的な破滅にもつながる感覚だ。

しかしそれがあるからこそおそらく人間は進歩してきた。ちょっとずつ世界を広げてきた。片や閉じた世界の心地良さも分かる。自分の力でもって周囲を少しずつ住みやすく変えていくのは楽しい。部屋を片付けて、必要に応じて収納を新しく作って、快適に過ごせるようにする、みたいな。

伝統的にそれらは男女別々に割り当てられてきた。まあ女性が子育てをするので男は外に出ろ、というところか。理にかなっている。でもそこに感覚のずれが生じる。古典の方にもその辺りのエピソードはあるのか。それとも三島由紀夫が付け足したのか。それが気になる。

もし古典も同じなら。ほら、人間は昔から同じようにすれ違ってるでしょう、となる。古典がそうでないなら。昔よりも世界は広いからすれ違いも大きくなるよ、となる。どっちにしろ古典が下敷きにあるのでテーマの凄味がます。本歌取りの神髄だよねー。大変面白い話でした。

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