エッセイ

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腐ったテレビに誰がした? 「中の人」による検証と考察 鎮目 博道

『腐ったテレビに誰がした? 「中の人」による検証と考察 鎮目 博道』のテーマは愛。著者は沈みゆく船からすでに降りていて、沈みゆく姿を寂しく眺めながら何とかならないかと愛ある悪口を言う。何ともならないのを本人が一番よく知っている、みたいな。
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『雑文集 村上 春樹』で物語をめぐる戦いには謙虚さが不可欠と認識

『雑文集 村上 春樹』で牡蠣フライの話が気になった。どうやら小説家は悪い奴らと戦っているらしい。人間が物語のお世話になった時から、ずーっと続いている戦いと見た。一方的に決めつけることがヤバくね?ということでこの本もやたら謙虚なのですよ。
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『ポーカーフェース 沢木 耕太朗』を読んだ感想はズバリ地方営業

『ポーカーフェース 沢木 耕太朗』を読んだ感想はズバリ「地方営業」。面白い話も沢山あり考えもきちんと書かれている。しかし共感やなるほどなぁは僕にとって多くなかった。何だか、昔はもっとすごかったのだろうなぁ、という雰囲気が漂っている。
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『家族がいてもいなくても 久田 恵』で秘密を聞いたみたいな気持ち

『家族がいてもいなくても 久田 恵』はともかく面白い。たまに漏れ聞く普段は聞かない大人同士のたわいない話。でも子供にとっては、こんな風に考えているんだ、こんなこと言うんだ、と新鮮で大変な秘密を聞いたみたいな気持ちになってしまうアレに近い。
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『都会を離れて古民家暮らしはじめました 牛尾 篤』は成功確定の話

『都会を離れて古民家暮らしはじめました 牛尾 篤』の何がすごいって行動力。介護の勉強、ならまだわかる。この人の場合、現場に飛び込み実践で習得、資格までちゃんと取っている。成功するべくして成功する人、天は自ら助くる者を助くの典型パターン。
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『自分の中に毒を持て 岡本 太郎』はアドラーと同じ|瞬間の闘い

『自分の中に毒を持て 岡本 太郎』はおそらくカラクリがある。現実世界における賭けはどうでも良くて、賭けた瞬間に精神的な勝ちとなる。こういう別次元的な思考を含めこの本はアドラー心理学に似ている。ダンスと闘いの違いはあるけど言ってることは同じ。
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『ラオスにいったい何があるというんですか? 村上 春樹』

『ラオスにいったい何があるというんですか? 村上 春樹』はタイトルの通り、何があるかは行くまでわからない。わからない、あるいはわかったつもりになってたけど思ったよりも、が刺激になる。複合情報、特に触覚、嗅覚、味覚に刺激を感じるんじゃね?
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『職業としての小説家 村上 春樹』で特異性の根っこを垣間見た気分

『職業としての小説家 村上 春樹』であらためて思ったのはスタイルの特異性。端的にいうと小説家っぽくない。もっといえば人間っぽくない、人間らしくない意志の強さ。ドライってのともまた違う。あくまでそれが正しいと確信するからどんなに大変でも進む。
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『べらぼうくん 万城目 学』が予想外で不思議|行動&継続の観察者

『べらぼうくん 万城目 学』の最大の謎は著者の行動力だ。ひとつの事しかできない、とは言ってるけどずいぶん行動的。そうはいっても、教室の後ろから観察しているタイプ、でもあるとか。行動して継続するあたりが普通の観察者と異なるところっぽい。
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『パンドラの娘 藤本 ひとみ』は深さの割にさっぱりしてて好印象

『パンドラの娘 藤本 ひとみ』は現代の俗っぽい悩みを歴史に関連させて面白く紹介している。結局今も昔も根本は変わっていない、とでも言うかのようだ。事実を事実として書き最後に感想をさらっと添える感じは、知識の深さの割にさっぱりしてて好印象。