*「晴耕雨読その他いろいろ」(2022/10/21)投稿記事の修正転載です
「ビニール傘 岸 政彦」がムズイ(2022/10/21)
ストーリーがありふれた生活アレコレでテーマがビニール傘。キャラクターはモヤモヤさん。久しぶりの純文学は難しかった。
読む人を選ぶ
話的にはだからどうした、って感じだ。なんだけど琴線に触れて感涙する人もいる。純文学全般にいえるが読む人を選ぶ話。エンターテイメントみたいに大勢の人向けじゃなくて、少数の人に深く刺さる、と思う。これってアレだよね。罠みたいだよね。
エンターテイメントは積極的な狩りに似ている。ストーリーをわかりやすく面白くして、魅力的なキャラを出して、獲物を追って打って出る。
特定の人を相手にし、場合によってはさらに特定の状況にあって感受性が強くなってる人間向けな純文学は、レアな道を通る人のみにターゲットを絞った罠みたいだ。
罠とかいうと言葉が悪いか。じゃあ狙いを絞ったってことで狙撃? でもやっぱり純文学はイメージ的に積極性がない。わかる人だけどうぞ的な消極さ。だから罠な気がする。
でもって罠は待ちぼうけの可能性もある。特に読書人口が減って、もともとレアな道狙いだと罠の効率はさらにダウンじゃね? そうやって純文学は勢いがなくなっていくんだと思う。
でも消滅はしなさそう
じゃあ純文学が消滅するかっていうとそんなことはないと思う。この本だって気持ちはよくわかる。僕はビニール傘ほど行き詰っていないと思いつつ、ありふれた毎日を送っている。それにしたってビニール傘は昔ほど安っぽいイメージではなく普段使いしている人も多い。だったら僕もビニール傘か。
ビニール傘的毎日の中でふと目にしたものがやたらはっきりと記憶に残ってたりしてこういうことってあるよね、と思う。そう思う人間がいる以上、純文学はなくならないと思う。なんだけど形は変わるのかも。
純粋な文学が巧みに姿を変え、エンターテイメントと融合してあらたな形態を作るかも。そもそも文学ではなく、文学的要素を残して漫画や映画、音楽に浸透していくのかも。とか考えてたらすでにそうなっている気がしてきた。
普遍的に需要があるだろう文学的要素を純文学以外で十分供給可能となった時純文学の価値は怪しくなる。消滅はしないまでもレコードやサイレント映画みたいにほんの一部の人間が楽しむマニアックな存在になるかも。
そう思うんだけどねどうだろうね。いろいろな賞があってみんな文学大好きだし僕の気のせいかもね。あるいはすでに、自然には存在が難しい絶滅危惧種的扱いなのかね。いずれにせよ、あらためて純文学ってムズイと思う一冊でした。
↓死神に人間っぽさを求めるのもアレだけど。

↓オルカン全ツッパに大共感。

↓余計なものに手を出さない、めっちゃ共感できる言葉(実行はできない)。



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