『レトロ喫茶おおどけい 内山 純』はアドラー的に最高レベル難易度

02book-260523kissa0 小説
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変化って難しい

テーマが変化でストーリーが不思議教訓物語、キャラクターはレトロな人たち。変化には良い面と悪い面がある。表裏一体になっているタイプはまだしも、明らかに悪い変化には気を付けたいよね。例にもれず難しいのだけど。

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質が関係してそう

レトロってのは面白い。だって昔はそれが最先端だったわけでしょ? でも今見ると古臭い。でもってその古臭さがイイカンジー、ってのがレトロだよね。一周回ってカッコいい、みたいな。……なんか最近似たようなこと書いたな、って思ったらショートショートか。

『きまぐれロボット 星 新一』は面白いのだが、2017年の僕はドライ過ぎてイマイチ物足りないと感じた。もっと人間の感情を扱ってるほうが好み。けど星新一スタイルだって当時は最先端で最高にカッコよかったはずだ。いずれまた僕的に評価が高まるときが来るのかも。

『きまぐれロボット 星 新一』やっぱり面白いのだが少々物足りない
『きまぐれロボット 星 新一』は面白いは面白いのだが久しぶりに読むと結構物足りない印象が……。この本では登場人物がどう思ったー、みたいなのは全然表現されず超ドライ。僕にとってこの本は一周回って斬新、の前の半周状態なのかも。

逆に大昔なのに斬新に感じることも多い。たとえば『痴人の愛 谷崎 潤一郎』は当時としては最先端、途中多分古臭くなったときもあったんだろうけど(知らんけど)、2025年に僕が呼んだ時には衝撃的な新しさを感じた。

『痴人の愛 谷崎 潤一郎』がワロエナイ|大正いただき物語
『痴人の愛 谷崎 潤一郎』はストーリーが大正いただき物語で、テーマが痴人の愛、キャラクターは痴人。ナオミ=風俗嬢とすると、僕は主人公を笑うことができる。ナオミ=子供と考えると?問題の根底にあるのは、ナオミ=欲望、な気がする。

平成時代において、昭和は古臭いされた。令和になって平成は古臭いとされ、昭和がもてはやされている。アンテナが伸びるパカパカなガラパゴス携帯を見ると古臭く感じるが、当時は最先端だった。ってことは今の最新折り畳みスマホもしばらくしたらカッコワル―、ってなるんだろうね。

玉川温泉良いとこ一度はお出で|昭和レトロ雰囲気満喫で一日ゆっくり
埼玉県ときがわ町にある玉川温泉に行ってきました。昭和レトロな温泉銭湯、多分昭和30年代とかそのあたりっぽい雰囲気。お風呂はひろびろ開放的、周り中が森なので緑の中日差しを浴びて良い気分。露天風呂も屋根があってのんびりできました。

これが単なる時間経過だったら放っておけばいい。いったん古くなるのはしょうがないとして、しばらくしたら味が出てくる。けど味が出てくる/出てこないの違いがあるなら知りたい。もっというと「いったん古くなる」状態を経由しないとか、「しばらくしたら」を短縮する方法があるならどうよ?

おそらく本質的な良さ、質の高さがかかわっている気がする。いったん古臭くなったとしても、質の良さが揺るがないのであればいつか見直される。この本の最初の方に出てくる「磨き込まれて黒光り」って文章を読んでそんなことを考えました。

多分元から質がイマイチだとどうしようもないんだと思う。我が家みたいな薄い合板にシートを貼ったフロア材だと、使っているうちに無残に剥がれて手が付けられなかったりする。……ソファの足の靴下がいつの間にか取れてて大変なことになってます。

「いったん古くなる」はある程度しょうがない予感。新しいものほど飽きられ、古臭いと感じられる度合いが大きいんじゃね? これを避けるには新しくない、すでに熟成されたものに乗っかるのが良さげ。でもそれじゃあちょっとツマラナイのですよ。

ということで質の良い変化を心掛けたいと思います。幸い質の良いって言われているものは世の中にたくさんある。そういうのをしっかり調べて、お金がかかるのは大変だから、労力とか時間でなんとかなるものを選びたい。そうすればそのうち何とも言えない味が出てくるのかも。

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一般共同体ってどうよ?

もうひとつ気になったのは誰かを応援する、って話。これはムズイ。アドラー心理学的に考えると、それは誰かの課題であって、自分の課題ではない。課題の分離が必要であり、自分勝手に干渉しないって原理原則に反する。

『嫌われる勇気 岸見 一郎、古賀 史健』で自己啓発まっしぐら
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見 一郎、古賀 史健』は極論だと思う。アドラー的理想を厳格に実践して波風立てまくるよりも、現実の生活を優先させる必要がある。現実ばっかりだとあまりにもアレなので理想もしっかり持ちたい。

課題の分離を超えるためには、共同体を作り上げる必要がある。その人の課題を自分自身の課題とする、家族とかと同じ状態ですな。相手が気になる異性とかならいいんだよ。ユー結婚しちゃいなよ!ってことでしょ。同じ目的を持った同志、とかでもOK。

なんだけどもっと不特定多数だとどうなるんだろう? しかもよく知らない人。たとえばこの本に出てくる喫茶店みたいに、訪れた人全員とか。

喫茶店に来る人は、美味しいものを飲みたい/食べたい、寛ぎたいなどなどだいたい同じ目的を持っている。なのでその一点において、同じ目的をもった共同体と言えないこともない。だけどそれ以外はバラバラ、っていうか正体不明なよくわかんない人たち。

これってアドラー的にはどうなんだろうね? 部分共同体みたいな。アドラーがなんて言ってるかはもっとちゃんと読まないとわかんないけど、部分的とはいえ共通の目的があるなら、そこを糸口に仲良くすることは不可能ではなくね?

って言うか世の中全部これだよね。学校も、会社も、社会全体も、完璧な共同体を形成できない一般家庭でも、夫婦でも、ある程度同じ目的の元に部分的な共同体を形作っているわけだ。もちろん部分的だから、信頼も限定されています。

こういう状態を取り扱う一般共同体理論みたいなのってあったりするのかね? ぶっちゃけ100%完全に信頼しあう共同体よりも、中途半端な状態の方が世の中よっぽど多いんだから、こっちの方が需要ありそう。

ただひとつ言えることは、誰かを応援するのは超難しい。良かれと思ってやったことが大きなお世話だったりするし、正解なんて誰も知らないし。中途半端な共同体では、自己満足でやってます、べ、別にアンタのためじゃないんだからねって言った方が無難な気がする。

などと今日も余計な事をあれこれ考えて満足。ぜひとも質の良い変化を重ねて質の良い歳を取りたいんだけど、やっぱり難しいよね。などと思う48⇒49歳節目の日でした。

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