『斜陽 太宰 治』で和風貴族について考えた|昔々の話とは思えない

banner-02book-00novel 小説

*「晴耕雨読その他いろいろ」(2018/8/31)投稿記事の修正転載です

広告

「斜陽 太宰 治」で和風貴族について考えた(2018/8/31)

ストーリーが没落貴族の崩壊物語でテーマが貴族。当然のことながら文章についてとか描写についてとか色々と勉強になったし考えさせられた。

特に弟の日記とか中二病全開で実に格好良かった。やっぱり中二病をこじらせないと小説家になれないのかも。しかしそれ以上に貴族って何?ってのが気になった。

全てはヒロインの言う通りだと思う。我々は自分大好き、自分が良ければオールOKな割に何故か子供に何かを残したかったりする。もちろん親が喜んだり、友達が喜んだり、配偶者が喜んだり、はたまた全然知らない誰かが喜んだり、そんなのも心地良いのだが、子供は特別だ。

多分動物的本能と子供は親の持ち物、アクセサリー的な迷惑発想が変に混ざり合った摩訶不思議な気持ちと文化からかと。いずれにしろ我々は大抵子供に何か残したがる。でもってそうやってできたのが格差であり身分であり貴族だ。

自分が手に入れた財産を使って何とか子供に少しでも楽しい人生を送ってもらいたい。格差とか聞くと嫌な感じだが親心となると納得できる。別に残すのは財産だけでない。何となく住んでる場所とか慣習とかそういうのも子供に残す。

お蔭で我々日本人は大抵人生イージーモード。生まれた瞬間栄養失調で死ぬとか何kmも遠くまで水を汲みに行く途中でリアル地雷を踏むとかまずない。しかし困ったことに貴族は弱くなるっぽい。なんで? 少なくとも生活の心配がないので生活力がなくなるらしい。

子供が楽しく暮らせるように~、と準備された財産のせいで子孫が弱くなってしまう。これでは本末転倒だ。もちろん海外にもその傾向はあるだろう。しかし何となく日本でその傾向が強いんじゃね?って思う。

昔々読んだ戦記物に書いてあったのだがその人の知ってる日本人将校は威張るばっかりで汗を流すことが無かったとか。で、捕虜になってみたらアメリカ人将校が優秀で時には兵卒と一緒になって作業するのでビックリしたそうだ。

それって和風貴族と洋風貴族の違いじゃね?って思う。ヨーロッパはずっと争ってたから貴族は平民よりも優れてなければならない、って考えがあったとか。一方日本の貴族はかなり早い段階で争いとは無縁になっていた。武士だって300年間平和そのもの。別に優秀でなくても務まる。

和風洋風の言い方がしっくり来なければダラケタ貴族とシッカリ貴族。ダラケタ貴族の方は働かなくても生活していけるんだから毎日気楽に遊んで過ごす。シッカリ貴族の方は働かなくても良い分有り余る時間を有効に使い規範となる人間を目指す。

日本にもヨーロッパにもそれぞれ一定数ずついたのだろうがどうも僕が思い描く日本人の貴族って前者のイメージが強く、ヨーロッパは後者が強い。で、何が言いたいかというとこのままでは日本マズくね?って事だ。

日本人は今貴族状態だ。働かなくても暮らしていける、とまでは言わないが生まれた時からかなり有利。その有利さをもって自分を磨こうとするか? 先祖から受け継いだアドバンテージを有効に使えるだろうか?

……何となく嫌な予感がする。ということで僕にはこの本が昔々の没落貴族の話とは思えない。ここから何か読み取って役に立てるべき、みたいな。色々考えさせられる面白い本でした。

 お読みくださりありがとうございます
↓応援クリックいただけると励みになります

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村
晴耕雨読その他もろもろ - にほんブログ村

人気ブログランキング
人気ブログランキング
人気ブログランキングでフォロー

↓どうしたらこの状態を避けられるのか?

『人間失格 太宰 治』はもはや文学がどうのとか言ってられない衝撃
『人間失格 太宰 治』はストーリーが破滅型ダメ人間物語でテーマが人間失格。太宰治の自伝的要素があるとかで衝撃。太宰治のような人間にならないには? あるいは、こういう人間に引っかからないには? が気になる。もちろん自分自身も子供も。

↓ちょっとしたズレって逆に認識しづらいから困る。

『太陽と毒ぐも 角田 光代』で母親が鋭すぎて悔しい|許容範囲問題
『太陽と毒ぐも 角田 光代』はストーリーが恋愛ズレズレ物語でテーマがズレ。別に恋愛に限ったことじゃないけど感性にズレがある人ってのはいる。けっきょく合う合わないの問題だけど重要。最終的にはどこかで許容するしかない。その許容ラインが難しい。

↓逆にこっちは大きな違いを見せつけて浮き彫りにするパターンじゃね?

『カナスピカ 秋田 禎信』でコミュニケーションって難しいよね
『カナスピカ 秋田 禎信』はストーリーが出会いと成長物語でテーマはコミュニケーション。会話のズレ具合と四苦八苦が面白い。それも当然で、二人は全く異なる文化的背景を持っているのだ。その難しさをクリアするのは異なる文化を尊重する寛容さだろうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました