*「晴耕雨読その他いろいろ」(2017/12/13)投稿記事の修正転載です
「カナスピカ 秋田 禎信」を読んでコミュニケーションって難しいよね、って思った(2017/12/13)
ストーリーが出会いと成長物語でテーマはコミュニケーション。大体僕がここで考えるテーマは自分が一番印象に残ったものだ。ハッキリわかりやすく場合によっては書いてあったりする小説もあれば、テーマは別にないのでは、って小説もある。
例え後者であっても何か一つ見付けるようにしている。ただ楽しかったー、だけでも良いがせっかく時間をかけて読んだからにはそこから何か得たい。ケチな性分なもんで。この本の場合、僕の感じたテーマは大きく外してはいないと思う。
主人公とカナスピカの会話のズレ具合と四苦八苦が面白い。それも当然で、二人は全く異なる文化的背景を持っているのだ。主人公はそれでも何とかコミュニケーションを取ろうとする。
やっと会話がそこそこスムーズに、流すところは流して支障のない程度に繋がるようになって、読んでる側としては気付かされる。誰が相手でもそうなんだ、と。僕らが使う言葉は超圧縮言語だ。言葉にはニュアンスが有り単純な意味だけがあるのではない。
例えば「光」というと特定波長の電磁波、位の意味だが、正しさとか暖かさとかの印象がある。この調子で単純な意味以外に印象を付与するのが文化なのだろう。その印象は日本全国共通だったり、地域ごとに異なったり、人それぞれだったりする。
だから異なる文化的背景だと話がかみ合わない。例えば英語でチープと言ったら安っぽい、という印象らしい。これ安く買えたんだ、いいでしょ、と自慢している人に、いいね、チープだね、と言ったら話がこじれそうだ。
なのでそうならないように気合を入れて気を付ける。というか人が話しているのを聞いて同じような状況で同じ言葉を使えば結構いい感じになる。子供がやっていることと同じだ。難しいのは同じ状況と言っても自分の状態や相手との関係で表現が変わるパターンだ。
昔本で読んだ恐ろしい話で、キャバレーの女性との会話で外国語を覚えた男性はオカマっぽい、ってのがあった。自分では中々気が付けなさそうで怖い。その他、同僚にするような挨拶を上司に向かってしたら問題になりそうだ。だから日本語は厄介なのかもしれない。
文化的背景が違いそうな人とのコミュニケーションには大抵誰でも注意を払う。でも言葉の持つニュアンスが全国共通か、地方ルールか、それとも自分が特殊なのかは聞いてみないと分からない。おそらく細かな話をすればするほどニュアンスのちょっとした違いが重要になってくる。
そこまで行けば文化的背景が同じ人だなんていなくなる。生まれ育った境遇が違うのだから。コミュニケーションの難しさはそこら辺にあるのでは、と思う。その難しさをクリアするのは異なる文化を尊重する寛容さだろうか。何がズレているかを確かめる根気も必要そうだ。
そんな面倒くさいことをする原動力はなんだろう。仕事だったら給料だがプライベートだと好意とか興味では。なんて事を考えながら読みました。この手のややこしい屁理屈は書いてないので安心して読んでください。爽やかSF好きにオススメ。
↓身近な不思議、実話っぽい感じが怖い。

↓80年として僕はもう秋も半ば……。

↓ダークファンタジーの設定資料集みたいで面白い。


コメント