*「晴耕雨読その他いろいろ」(2018/5/11)投稿記事の修正転載です
「第十三回岡山県内田百閒文学賞受賞作品集」を読んでレベルの高さに驚いた今日この頃(2018/5/11)
ストーリーは岡山関係でテーマは人間の心の動き全般。内田百閒文学賞に応募するにあたり前回の受賞作を読むことにした。締め切り日と枚数から応募する賞を決めたので邪道極まりないのだが大きな問題があった。応募作品は岡山に関係した小説でなければならないのだ。
まあ何とかなるだろうくらいの軽い気持ちだった。しかし間違いだった事が判明。よくもまあここまで調べたな、というくらいしっかりした話ばかりだ。岡山要素はちゃんと話の根本に関わっている。
単純なモチーフじゃダメ、ということだったので岡山が舞台で地名が出てきます、とか主人公は名産品を販売してます、とかその程度じゃNGなことはわかる。それ舞台変えてもなりたたね? 商品違っても良くね? だとボツだ。
なので頑張って頭をひねったのだがこの作品集の前には僕の考えは果てしなく薄っぺらい。無い知恵絞って何とか岡山と細い繋がりを持たせようとしました、的な苦労の跡がアリアリだ。しかもあろうことか僕は文学賞の主旨に疑いを持っていた。
文学の何たるかを理解してはいないがともかくストーリーよりも登場人物の心情描写に重きが置かれた、みたいな感じだと思っている。しかもそこにはある程度の普遍性が必要では。読者が共感したり、逆に違和感があり過ぎて印象的、とか。
だとするとそこに特定の土地要素を絡めるのって難しくね? 普遍性と反対じゃね? と思った。これが事実中心のエンターテイメントならその土地要素を絡めやすそうだ。地理と歴史に関わる冒険ものとか大胆な仮説を検証する科学ものとか。
などと書く前からさっそくケチを付け始めていた僕だったがそれってテスト勉強を始めた中学生が勉強なんてしても意味ないじゃん! って言うようなものだったのだ。受賞作はそこら辺をしっかり満たしていた。誠に申し訳ございませんでした。
ちゃんと登場人物たちの生活があってそこから話に関係する部分のみを抜き出した感じ。僕が考えたハリボテ的薄っぺらさとは大きな違い。僕がケチをつけた文学っぽさと土地要素との間を繋いでいるのはどうやらしっかりした事実情報っぽい。
詳細に調べられた歴史や地理の情報が登場人物の現状を明確に表し、心情描写に厚みを持たせている。同時にこれらの情報はそのまま土地要素だったりする。方言なんかもそうだ。では僕はどうやって見習うべきか? 方言は知らないし岡山に行ったことないし偉人は桃太郎しか知らないし。
‥あれ? そもそも無理じゃね? と諦めるのは容易だ。やはりここは色々と調べるしかなそうそうだ。調べた事実が描写と岡山要素をプラスしてくれるに違いない。問題は時間がない事だが‥。内田百閒文学賞への応募を考えている人は読むべき本だろうが読んだら読んだで愕然とする本。
↓家庭菜園は最近やってないんだよねー。そのうち再開したい。

↓まあ自分の好きな方をやれば良くね?

↓こういう地域密着型の話がそうなんだろうね。



コメント