*「晴耕雨読その他いろいろ」(2018/6/22)投稿記事の修正転載です
「人間失格 太宰 治」は文学がどうのとか言ってられない衝撃(2018/6/22)
ストーリーが破滅型ダメ人間物語でテーマが人間失格。文学って何よ?第二弾。なのだがストーリーが凄すぎてそんなこと言ってられない。しかも太宰治の自伝的要素があるとかでさらに衝撃を受けた。
ということで太宰治のような人間にならないには? あるいは、こういう人間に引っかからないには? が気になる。もちろん自分自身も子供も。
世の中には周りに迷惑をかけて自分はふんぞり返っているダメ人間と自爆していく破滅型ダメ人間がいるが主人公は後者。でも結局周りに迷惑をかけるのだ。どうしてこうなったか? と言えば色々理由はあるだろう。
しかし子供の頃からってことでやっぱり家庭環境の問題だ。主人公に周りを欺く才能があった、例のクラスメイトや検事のような鋭い人間がそばに居なかった、などなどの不幸がそれに加わる。
そもそも程度の軽い状態なら結構誰でも覚えがあるのでは。大人は単純で騙されやすいなぁ、とか周りはバカばっかだなぁ、とか子供の内は特に嘲ってたりする。
でもって主人公の場合、他人に対する恐怖が加わり嘲り+恐怖で屈折していく。あー、ありそうだ。例をあげればバカな看守と囚人、ってのがあるだろうか。看守は暴力的、しかしバカだから簡単に騙される。
囚人は暴力を振るわれないよう怯えながらも、すぐに騙される看守をバカにしている。そんな牢獄に長い間捕らわれていたら気が狂うだろう。こんな日々が続くなら自分で終わらせよう、と思うかも。他人を巻き添え、ってのは困るが。
だとすれば看守は家庭環境であり世の中の排他的雰囲気だったりか。ならば家庭環境や世の中が監獄的でない事、あるいは監獄的だとしてもバカじゃない事、このどちらかが必要となる。
監獄的じゃない、ってのは現代風の家庭だよねー。友達親子、みたいな感じで厳しくない。監獄的だけどバカじゃない、ってのは古い日本の家庭だろうか。厳しいがそこには理屈がある、イタズラしてもすぐに見破られる。
どうも現代において後者は難しそうだ。昔の理屈はただの慣習だったりもするがそれが通った時代でもある。今は価値観が多様なのでならぬものはならぬ、は受け入れられにくい。だとすれば後者には全ての事においてしっかり理屈が通るように、あるいはそう思える程度に説明できる賢さが求められる。
こりゃ難しい。ならば友達親子の方が楽そうだ。などと考えたがどうだろうか。正解は分からないしそもそもこれは一例に過ぎない。まだまだ色々な可能性がある。さらに言えば引っかからない方法、についてはサッパリ分からない。
しっかりした価値観を持つことが重要な気はする。でも困ってる人を助けるのも大事。助けられる範囲と無理な範囲を認識するなんて超難しそうだし。色々考えさせられる大変良い本でした。え? 描写? それどころじゃなかったよ。
↓いつだって母は鋭い、……かもしれない。

↓僕もそろそろコミュニケーション歴五十年。まだまだですな。

↓日常に潜む知らないことが怖い。僕の周りの人も何か「ワザ」してるとか?


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