*「晴耕雨読その他いろいろ」2023/12/8投稿記事の修正転載です
「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見 一郎 古賀 史健」で自己啓発まっしぐら(2023/12/8)
アドラー心理学第二段は「嫌われる勇気」ですよ。わりとやりたいようにやっているので嫌われる方向には自信あり。と見せかけて八方美人の気もあります。

連続するベクトル
最近はマインドマップを見返して読書中に自分が何を考えたか思い出している。なんだけど今回はいつにもまして我ながら解読不明。そんな中強烈に覚えているのが連続する刹那、って話。線じゃなくて点らしい。
それぞれの地点でダンスを踊るっぽい。奇しくも僕はちょっと前に「ダンス・ダンス・ダンス」を読んでいる。これはちょっと運命的? ただしこの本風に考えると逆になるのかも。
「ダンス・ダンス・ダンス」を読んでいたから運命的なのではなく、運命を感じたから記憶の中の「ダンス・ダンス・ダンス」を引っぱりだした、みたいな。
これって時計を見ると特定の時刻が多い現象と似ているのかも。実際は特定の時刻に時計を見ているのではなく何度も見た中で特定の時刻だけを覚えてる、ってやつ。
なんとなく僕的には点よりもベクトルの方がしっくりくる。点が並んで線を作ってるってよりは矢印が並んでいるイメージ。でも旅の例はわかりやすい。たしかにヘリコプターで登山するのはちょっと違いそうだ。
あとはアレだ。共同体も面白い。その昔、オリンピックのスノーボードかなんかで見事な滑走を決めた選手を他の選手が讃えていたシーンを思い出した。
競技的には競争相手に対してだよ? あんまりにもみんなが喜んでいたので不思議な光景だった。競争しているというよりは、共同でひとつの作品を作っているみたいに思えた。おそらく理想はそうなんだと思う。
僕は家族の一員として面白おかしい家庭を作る。同時に会社でも、地域でも良い作品作りに貢献する。これが理想じゃね?
極論ですよ
でもまあ、この本は極論だと思う。忠実に再現しようとするとそれこそ求道者みたいになりそう。全世界アドラー化した後ならそれも良いかもだけど、少なくとも今はキツイ。
って言っても、極論であり机上の空論! なんて一蹴するつもりはさらさらない。たぶんやじろべえの重りの片側としてとても貴重な極論だと思う。
おそらく僕らは非アドラー的な考えがしっかりと身についている。現実生活においてそれはある程度しょうがないんじゃね? アドラー的理想を厳格に実践して波風立てまくるよりも、現実の生活を優先させる必要がある。現実ばっかりだとあまりにもアレなので理想もしっかり持ちたい。
でもって理想と現実を時と場合によって好みの比率で混ぜ合わせて、自分なりのスタイルを探るのが良さげ。そのためには現実を片方の重りとして、アドラー的理想をもう片方の重りとして、やじろべえみたいにバランスを取りたい。あんまり極振りだと転げ落ちそうだし。
……え? 卑怯? なんかずるい? 確かにそうだ。出したり引っ込めたりの理想なんて我ながら胡散臭い。でもそれで問題ないんだと思う。
すでに続編を読み始めてるんだけど、アドラー心理学は誤解が多いらしい。わかった! って思って感銘を受けたやつほど怪しいとか。もちろん僕もそうだろう。
だとすれば誤解しているであろう理想を掲げて突っ走るよりも、現状のスタイルと適度に混ぜ合わせてしっかり咀嚼しつつブラッシュアップを続けたい。そんなことを考えました。ということでしばらくアドラーですよ。
↓アドラー心理学は子供との関係でも色々教えてくれるのですよ。
↓嫌われるよりなら幸せになる方を優先したい。
↓極論イコール非常識ですな。








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