*「晴耕雨読その他いろいろ」(2017/11/15)投稿記事の修正転載です
「ゼツメツ少年 重松 清」でいじめっ子ってどこにでもいるよね、って思った(2017/11/15)
ストーリーが家出成長モノでテーマが居場所。作者の名前で借りた人間の予想を裏切らず、いじめが出てきますよ。何だか最近別の作者の本でもこういうスタイルを見た気がする。現実と小説を混ぜたような、ギャグ漫画で作者登場とかたまにあるがあんな感じ。流行っているんだろうか。
僕も中学生の頃は殴られたりしたから、いじめられっ子側の人間だ。幸いなことに相手が集団ではなかったし、日常的に殴られたり、お金を取られたりはしなかった。でもまあそれが元で学校行きたくないなぁ、って日はあった。
中学校が結構そういう所だった。卒業生がバイクで校庭に侵入し、エンジンをふかして授業を妨害する、先生に校門を閉められて慌ててバイクを乗り捨て走って逃げる、そんな面白い学校だった。
何故そういう行動を取るのか、そういう発想になるのか、というのが全く理解できない得体の知れない恐ろしさがあった。水筒に日本酒を入れてきて修学旅行のバスで酔っ払って上機嫌で騒ぐ、とか。
でも高校に行ったらそういうの無かった。それは年を取ってみんな丸くなったとか、付き合いが浅いからいじめっ子が標的を定められなかったとか、そういうのとも違う雰囲気だった。驚いたことに不良もいた。僕のいた中学校からでは余程真面目に勉強しないと入れない高校だったので驚いた。
さらに驚いたことに彼らは学校の成績も良かった。僕よりもずっと。それもそのはず格好は不良なのに授業を受けキチンとノートを取っているのだ。
この時僕は一般的な不良が何故ウンチ座りするのかを理解した。長ランで学校の椅子に座るとお尻の部分がテカテカになるのだ。真面目に授業に出て椅子に座っているのでお尻テカテカの長ラン着てまーす、だなんて不良の沽券にかかわる。
ということで僕の高校の不良からは何考えているのか分からない理解を超えた恐ろしさは感じなかった。中学校の頃の彼らがそうだったとは思えなかったし、僕の中学校の不良が高校生になって彼らのように丸くなるとも思えなかった。なので集団の平均賢さといじめっ子割合に相関があると思っている。
理由は色々ありそうだ。賢さと相性の良い寛容さがいじめっ子特有の攻撃性と相容れないから、努力により積み上げたものが多い人間は守りに入ることが多いから、他人を尊重することと賢さの間に相関が高いから、等々考えられるが決定打が今のところ思いつかない。
理由はどうあれ今までの経験からは結構いい線行ってる考えだと思っている。ただし学校の成績の良さと賢さはそのまま対応はしないけど。
どんな集団でも、何歳になってもそういう人間はいる事はいる。しかし絶対数が少なければ遭遇確率が減るし、浮いてて目立つ。噂も立ちやすいから近づかないように注意することだってできる。
問題は避けることができない関係になってしまった時だ。友達だったらフェイドアウトできるがそうもいかない関係もある。この話の場合もそうだよね。
そういう時は逃げるに限る。もうなりふり構わず逃げる。草食動物なんだから逃げることに躊躇はいらない。俺はいじめられてないしー、とかそういう変なプライドは邪魔なだけだ。
もちろん肉食動物の方も逃げられないように工夫したり、蛇に睨まれた蛙状態に持ってったりするんだけど。いじめっ子もレベルが上がると洗脳とか使ってくるのだ。
悪いのは自分の方だ、自分のためを思ってくれているんだ、普通こんなもんなんだ、もう少し頑張れば自体が改善する、いじめられっ子にそう思わせる事で視野狭窄状態に持っていく。ここら辺はブラック企業社員の自殺とかとも似ている。
ということで親としては取りあえず勉強しなさい、って事と何かあったら逃げろ、とは言ってます。自分の経験を織り交ぜて。ところで親の対応としてどうなんだろう、って所がある。親の方にも変なプライドがある、っていうか。
いじめられっ子の立場からも、子供がそうなってしまった場合親としてどうするか、という意味でも色々考えさせられる本でした。爽やかさからは程遠いので読む人を選ぶ本。重松清ファンにおススメ。
↓まさに縁の下の力持ちですな。

↓現状の活況を予想してた一歩先行く話?

↓植木等は偉大。


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