*「晴耕雨読その他いろいろ」2015/2/23投稿記事の加筆修正転載です
タチコギ 三羽省吾(2015/2/23)
ここ数か月読んだ本の中で思い出せるものを書いているのだが、息子はいい加減に選んでいるようでも有名な小説を手に取っているようだ。1970年代後半の廃れつつある鉱山が舞台で小学生の主人公たちに起こる問題を描いている。面白い上に感動できる作品だ。
三羽省吾が作者で、この作品でこそ賞は取っていないが、その他の本で色々受賞している。世の中にはたくさん賞があるのか、図書館は面白い本ばかり集まるシステムだからなのか、不思議だが適当に選んでも面白い本ばかりである。
加筆(2025/8/13)
……え? これだけ? この本と『誘拐ラプソディー』にはかなり衝撃を受けた記憶があるのだが、たったこれだけしか書いてないの? どうやらブログを始めたばかりで何を書けば良いのか、暗中模索だったっぽい。今でも暗中だけど。
10年前の記憶をもとに加筆すると、テーマはタチコギ、ストーリーが小学生もつらいよ、キャラクターは男子。テーマも面白いし、ストーリーが衝撃。これを聞かされた小学生はなんて応えれば良いのか、コメントしづらいだろうね。
でもたしかにそうだと思う。大人になると、昔は楽しかったなー、って良い部分ばかりがクローズアップされる気がする。勉強は簡単だし、とっとと帰って遊べるし、仕事があるわけでもないし。楽チンだったよね、みたいな。
そうは言っても、あの頃はあの頃で色々大変だったのだよ。全力疾走していたのだよ。大人はその事実をすっかり忘れているわけだ。忘れるだけならまだしも、子供の世界は楽チンと錯覚した状態で接する。どうしたって上から目線の舐めた態度になりがちだ。
ということで真摯に接するためには、しっかり昔を思い出して、子ども扱いせずに一人の人間として対応する必要があるっぽい。めでたしめでたし。
……本当? 本当にそれで不登校の問題が解決する? もちろん小説としてはそれで良い。キレイにまとまっているし、筋が通って面白い。納得。コミュニケーションとしても素晴らしい。アドラーとかモンテッソーリとかが好きそう。実際良い方向に進む予感はする。
しかし謎は残るのだよ。人間は基本ずっと子供を舐めてた。最近の若いもんは……、なんて言って何千年も舐めてかかってた。何千年ってのは文字が残ってる範囲ってだけで、有史以来ずっと舐めてたんじゃね?
子供に真摯な姿勢で接することは素晴らしい。これは普遍だろう。だとしてもなぜ最近それが昔よりも求められるようになってきたのか? 長いことずっとそうだったのに何が変わったのか? この謎を明らかにしない限り、個人はともかく社会レベルでの問題解決には至らないと思う。
などと10年後にも記憶がしっかり残っている面白い本、さらには子供にどう接するべきか考えさせる良本、……だった気がする。ストーリーから何から記憶違いだったらすいません。
↓こうやって見返すと、10年間で明らかに妄想力は上がっているっぽい。
↓子供関係の本が多い気がするけど、息子の直感恐るべし。
↓安物でもなんでも生活できる、ってのが変化の一つな予感。
↓小学生はDIYも好き。……すぐ飽きて離れていくけど。
↓今だったらピンと来なくても何かを得ようとするけど昔は違ったっぽい。
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