*「晴耕雨読その他いろいろ」2019/8/16投稿記事の修正転載です
「オブ・ザ・ベースボール 円城 塔」はモノボケみたい(2019/8/16)
ストーリーが野球的?不思議話でテーマがそういうこともあるかも。
現実的な話であっても不条理であっても、何かしら言いたいことがあるものだと思ってる。たまに後書きで作者自身が書いてたりもするが大抵の場合、正解は明示されていない。「言いたいこと」なら正解はあるが、解釈は読む方の自由だから出版されている時点で読者は好きに読めばよい。
で、僕はいつも好き勝手に読んでいるのだがやっぱり難しい本は難しい。それでも何かしら得たいと思っています。ケチだから。
面白いかどうか
昔の話なんかだと結構わかりやすい。ああ、こういうことが言いたいからこんな設定にしたのか、って。じゃあ逆に設定ありきでそこに人間を放り込んだら? ってタイプの小説を見かける。SFなんてそんな調子では。
この本もそうじゃね? って思う。バットが何を表しているのか、十字がどんなことを意味しているのか。普通に考えたらバットを渡した人間に聞いてみればいいじゃん、となるが、それはあまりに無粋なのだろう。
で、僕なんかが無い知恵絞って考えて、こういうことだったんだよ! と強引に解釈したらどうなるか。ふーん、そういう考え方もあるかもね、となる気がする。
人によっては、お! いいね! かも、あるいは、はぁ? 馬鹿じゃね? かも。そこに作者の意図があるのか、なんてのはそもそも関係ない。あるのは面白いかどうか。
「ボケて」が「解釈して」
それってモノボケみたいに思えてくる。スタジオに沢山のモノが並べられてて、それで面白おかしくボケてください、っていうアレ。「ボケて」が「解釈して」になるのだ。
判断するのは売れっ子先輩芸人だったりスタジオの観覧者だったりする。そこにはユニフォームとか穴の開いた屋根とかがあって、僕は必死に何かを考える。で、出来上がった答えを披露する。まあ誰かの評価なんて二の次なのだ。少なくとも僕は第一に自己満足を目指す。
この本で並べられているモノは明らかに野球を暗示していて、でも全然関係なくて難しい。だから僕は早々に挫折してシステム的な解釈に走ってしまった。なんでこんな変なことを考え出したか。二つ目の話のせいなのだよ。
この本で並べらているモノの数は有限。そこから何個取り出すかも有限。ってことは組み合わせも有限。だとすれば誰かが僕と同じモノを使って似たような考え方をする可能性もある。だから僕の考えに個性はなく、そういうこともあるかも、となる。
ならば意味深にモノを並べ立ててコレとコレとコレを使ってこういう風に解釈するのが正解! なんて最初から意図するのはおこがましいのかも。そんなことを考えてしまう小説だった。
などと勝手に色々考えながらそれでも意図したいよね、そう思ってしまう今日この頃です。
↓本を読んでどう解釈するかは読者の自由だよね。
↓マインドマップは解釈の助け、……というか妄想の助けになる。
↓小説は妄想を広げにくい。でもハマればこれほど楽しいものもない。
↓難解な本のちょっとアレな活用方法。
↓あまりの分量の少なさについつい加筆。……あんまり好ましくない。
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