*「晴耕雨読その他いろいろ」2021/6/18投稿記事の修正転載です
「国境の南、太陽の西 村上 春樹」でカン違いについて考えた(2021/6/18)
ストーリーがいつもの村上春樹でテーマがひとりっ子。エッセイの記憶が新しいうちに小説を、という単純な発想のもと借りてきた。安定の村上春樹スタイル。
僕は村上春樹の小説を純文学か、エンターテイメントか分類できない。僕が勝手に指標としているテーマ性とストーリー性がともに高く、さらにテーマが複雑なため判別不能となってしまうっぽい。この本も同じですよ。
テーマが複雑でわかりませんでした、でも良いのだが、いつもそればっかりだと何の進歩もないので無理やり考えた。それがひとりっ子。無理やり考えたと言いながらもけっきょく絞れなくて、ここには複数の意味がある。
ひとつは「どうしようもないこと」、ふたつめは「とりかえしのつかないこと」、みっつめは「答えのないこと」。その他にも、いろいろ含まれていると見た。
子供の側からすればひとりっ子なのはどうしようもない。兄弟がほしいと思ってもそれは親が決めることだ。お願いすれば考慮してくれるだろうけど。
ある年齢を過ぎればそれはとりかえしのつかないことになる。親のほうにも年齢制限があり、それを過ぎればどんなに頼んでも無理。たとえ親がその気になっても現実的にはハードルが高い。
さらに、この問題には答えがない。ひとりっ子が良いのか、兄弟がいたほうが良いのか。その人のある特性が兄弟の有無に大きな影響を受けたかどうか。実験できないから答えはない。
これらを満たすものは当然のごとくひとりっ子以外にも色々ある。たくさんあるだろうけどその代表的な例が恋愛では。
恋愛はホントどうしようもない。好き嫌いの基準は人それぞれであり、惹かれる強さもさまざま。さらにややこしいのが友達と違い複数選択ができないこと。……する人もいるけどね。
で、並列がないからある時期を過ぎてしまうととりかえしがつかない。まあ離婚すりゃいいんだけど時間は取り戻せないし周囲に迷惑かけちゃうし。
さらに答えもない。あの人を選んでいたらどうだったか、実験のしようがない。基準が明確ならば予想も立てられるがそもそも惹かれる理由が本人にもよくわからないから解なし。延々と考えあぐねるのみ。
これらはすべてカン違いから来ている、というのが僕の考えだ。ひとりっ子であることはもちろんその人の成長に大きな影響を与えるだろう。性格、考え方、生活スタイルなどなど多岐。それでも一生ずっとラベルを貼りっぱなしな必要はない。そのラベルはカン違いの産物だ。
単なる両親の都合なのだから気に入っていれば続け、気に入らなければ変えればいい。この小説の主人公のように変えられることは多い。時間が解決しただけかもしれないが。
恋愛もまたカン違いだ。僕らが年頃のあいだに出会う、わずか数十人、多くての数百人の中に七十六億分の一の運命の相手がいるはずない。
単なる偶然な相手との出会いを運命だとカン違いする。他のみんなはカン違いでも自分たちだけは本物とカン違いする。逆に言えば恋愛はカン違い能力が高ければ高いほど幸せだ。
同じ理由で結婚後に出会う数百人の中にも運命の相手はいない。分母がでっかいので分子が十倍になろうが百倍になろうが超低確率には変わりない。長所であったはずのカン違い能力がこの段階になって問題を生み出す。
カン違いの相手を限定できればいいのだがたぶんそういう風にはできていない。なんとなくだけど一夫一妻制は限界に来ている気がする。人間が進化の過程で選んだ、あるいは選んだからこそ進化したシステムっぽいが、そのころから平均寿命が伸びて状況が変わりすぎている。
……ああ、ダメだ。この方向は限りなく発散しそうだからまた今度考えよう。
ということでカン違いをうまいこと使いこなそう、と思いました。カン違いだと思ってる僕のほうがどうしようもないカン違い野郎かもしれない。そもそも使いこなせるとかそういうもんでもない気がする。それでもうまく付き合っていきたい。なんてことを考えて僕は結論とする。
答えのない問題であっても場合分けでなんとかしたいと思う。自分がそうなった時のため解決の糸口くらいは考えておいて、後はその時の状況に応じたい。そうやって考えることをやめる。
しかし村上春樹の小説の主人公は違う。切羽詰まった状況にあるのだから当然といえば当然だが、彼らは考えることをあきらめない。とんでもない意志の力で、どこまでも深く降りていく。村上作品のそこら辺に僕が惹かれる理由があるっぽい。考えさせられて面白い。とても良い本でした。
↓アスリートとか職人みたいにストイック。
↓あんだけ重要キャラっぽかった人たちがあっさり退場したのはびっくり。
↓こちらも降りていきます。
↓今ここにスポットライト、ですよ。
↓旅行は脳トレ的に良いよね。







コメント