『職業としての小説家 村上 春樹』で特異性の根っこを垣間見た気分

banner-02book-01essay エッセイ

*「晴耕雨読その他いろいろ」2021/6/4投稿記事の修正転載です

広告

「職業としての小説家 村上 春樹」で特異性の根っこを垣間見た気分(2021/6/4)

ちょっと前は新人賞受賞作ばかり、このあいだまではフィクションときて、そろそろ小説でも読もうかと思った。なのになぜかエッセイに目が留まる。村上春樹はエッセイも面白い、と何かで見たおぼえがあったが実際に読んだことはない(……たしか)。

思い立ったが吉日、今一番読むべき本に目が留まる、ということで早速借りて帰った。結果的にいって大正解でした。面白くてためになる、とても良い本でしたよ。

まず最初の章でつまづいた。小説の世界は寛容? うそでしょ? いやいや、村上春樹が嘘をつくはずない。きっと本当はそうなんだと思い、読んでみて一応納得。なんだけど後から出るわ出るわ。

反証が山ほど積み上げられる。文章の雰囲気からいって、かなり慎重でマイルドな人だと思う。そういう人が「風当たりが強い」ときた。

世の中には大げさな人もいて嫌味を言われた程度のそよ風でもギャーギャー騒いだりする。それに対し村上春樹の言う「風当たりが強い」はおそらく暴風雨。凡人なら心がぼっきり折れて前に進むどころか、立っていることすらできないのでは。

ということで「寛容」という言葉から僕が抱いたイメージ、「心が広い」じゃないっぽい。どっちかっていうと「相手にしない」、「無関心」とかのニュアンスでは。新参者、出ようとする杭を叩く必要は小説の世界ではあまりないっぽい。

次から次へと登場する新人賞受賞者相手にそんなことしてたら大変だし、そもそも彼らは勝手に消えることが多い。だから少々気に入らなくても放っておく。そういう意味での「寛容」と見た。……まあ「間口が広い」には違いないか。

なんだけど村上春樹は最初から風当たりが強かった。そりゃそうだ。雰囲気がありえないほど特異。これを絶賛するのは勇気がいる。

ある程度評価が安定するまで口をつぐむか、勢いが衰える方に全賭けして総力挙げて叩くしかない。……全賭けした方々は今ごろどこで何をなさっているのか。

ではなぜ特異か? 外国文学好きだから、とは昔から思っていたが今回あらためて思ったのはスタイルの特異性。それが強いんじゃね? 端的にいうと小説家っぽくない。もっといえば人間っぽくない、人間らしくない意志の強さ。

ストイックなアスリートや熟練の職人みたいにプロ意識がやたら高く、正しい道を正しく歩む。考えてみたらそういう話多くない? ボロボロになりながらも正しい道を正しく歩む。ドライってのともまた違う。あくまでそれが正しいと確信するからどんなに大変でも進む。

たぶん村上春樹の杜子春は最後まで声をあげないと思う。たぶんそれは人間の理想像だと思う。百人を助けるためには一人を見捨てる。でもって墓に花を捧げて涙する。そんな雰囲気。

不必要なら文壇やら慣習も切って捨て、必要なら体を鍛えて早寝早起き。時間を味方につけ着実に一歩一歩正しい道を進む。そんな人が小説を書いたらどうなるか? ちょっと興味あるなぁ。おそらくあるとき神様が思い立って入場券をひらひらと落としたのでは。

もちろん村上春樹が野球場でそれを手にしたのは偶然ではなく、その特異性から必然だったのでは。なんてことを考えてしまいました。

今日もいろいろ妄想を発散させて満足。……そんな漠然とした楽しみの他、この本は実益性も高かった。とりあえず平日含め一日千文字を目標にしてみようと思います。

 お読みくださりありがとうございます
↓応援クリックいただけると励みになります

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村
晴耕雨読その他もろもろ - にほんブログ村

人気ブログランキング
人気ブログランキング
人気ブログランキングでフォロー

↓2つの物語のバランスが好き。

↓井戸もよく出てくるよね。

↓一粒で二度おいしい。豆腐じゃないんだから。

↓デビュー作でこれだよ? 異次元としか思えない。

↓五反田君ならうまくやる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました