*「晴耕雨読その他いろいろ」2020/4/10投稿記事の修正転載です
「海辺のカフカ 村上 春樹」に潜む水木しげる風味が好き(2020/4/10)
ストーリーはいつもの調子+でテーマは隠喩。面白いことは承知の上で借りたが期待以上に面白かった。カフカの話の方がいつもの調子で、ナカタさんの方が新鮮。一粒で二度おいしい。
ナカタさんの話に漂う雰囲気は何か別のものに似ている。そう思っていたのだが石が出てくるところで思い当たった。水木しげるだ。
本人たちはいたって真面目にやってる。でもはたか見るととぼけててついつい笑ってしまう会話と思考。そこが僕にとっては共通点に見える。豆腐じゃないんだから、とか。
僕が勝手に考えるこの本のテーマ、隠喩。それは世の中に溢れていて結局は全てカン違いだ。椅子はただの座り易い木であり、僕らが勝手に椅子だと思ってるだけ。使いようによっては机にも踏み台にもなる。
同じように事実があるだけで意味なんてない、だから解釈は自由、カン違いバンザイ、なんてことがそこら中にある。っていうかそれしかないんじゃね?
でも僕らは何とかしてカン違いを共感したい。こう解釈でできるのでは? と伝えたい。もともと意味がないから至難の業だが、なんとかしてわかってもらいたい。でもってたまに成功する。
それって文学そのものじゃね? 言葉にできない人生を言葉で表そうともがく。意味のない事柄を解釈しようと四苦八苦。上手くいかないもどかしさも、上手くいったときの嬉しさも似ている。
ということで隠喩と文学は相性が良い。さらに言えば描写も多分そう。ピッタリな修飾詞がない説明を工夫して表現しようとするから。
そして水木しげる風味はその変形な気がしてならない。おそらく正統派の隠喩、描写の何らかの要素をちょっとずらすと、とぼけた感じの親しみのある雰囲気が出せるのでは。さらに笑いも誘える荒業だ。
じゃあそのちょっと、ってどこよ? と思うのだがそれは不明。色々考えてみたいと思います。今日も自分勝手に考えて自己満足。
↓楽しけりゃいいじゃん。
↓「巡礼の年」ではなく「巡礼との旅」だとずっと勘違いしてた。
↓解釈は人それぞれ。だからここまでみんなに愛されてるんじゃね?
↓面白おかしい方向に勘違いしたい。ムズイけど。
↓Book1の最後で愕然。



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