『歴史の不穏 ハリー ハルトゥーニアン』はその場観察の話

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*「晴耕雨読その他いろいろ」2024/11/1投稿記事の修正転載です

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「歴史の不穏 近代、文化的実践、日常生活という問題 ハリー ハルトゥーニアン 」はその場観察の話(2024/11/1)

たまには別方面の本でも……、と思ったら大変な目にあった。近代思想とか社会学とかそっち方面の本、だと思う。正直それすら曖昧な激ムズ本。

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そんなもんじゃね?

前半は歴史研究の文句っぽい。昔風の西洋・非西洋的構図、非西洋は西洋の模倣って考え、地域研究のあり方なんかを批判してる、ような気がする。身内の文句を言えるのは凄いと思う。立派なことだと思いつつもなんかちょっと引っかかる。

英語を訳すとそんな感じになるのかもだけど、論調が気になる。謙虚さがイマイチ足りなくね? 過去の話をするときにはどうしても後出しジャンケンになる。なんだけど、さらに未来には別の後出しジャンケンが待っている。今の自分はもちろん、未来人も正解を知らない。

だからこそあくまで今の考えではこう、みたいな謙虚さが欲しい。知らんけど、と付けるくらいの鷹揚さがあっても良いのでは。

ひょっとしたら僕が読めてないだけでそういうふうに書いてあるのかもしれない。昔はこうだったけど今の考えはこうだから舵を切ろう、いつまでも昔の考え方に縛られるのはやめようね、みたいな。

だとしても、どのタイミングで舵を切るか、そもそも切らないかは各自の自由だ。そうやって右往左往しながら進んできたのが歴史なんじゃね? そう考えると、あんまり強く批判するのは頑固な恐竜的石頭と方向性が違うだけでやってること同じな気がする。

これがまだ科学的論争ならわかる。実験で白黒はっきりつけられるから強く批判する根拠もある。でもこの人たちって頭の中だけで勝負してるんだよね? だったら頭の数だけ正解、とは言わないまでも考え方があっても良くね?

ましてや時代が違えば考え方も変わってきそうだし。まあ、そんなこと言ってたらやっていけないのかもだけど。などと言うことがわりと気になった。この人はめっちゃ謙虚だよ、オマエが読めてないだだよ、ってことならスイマセン!

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その場観察

論調が気にならなくなってきて後半はもう少し素直に読めたかも。理系的感覚でいうとその場観察の話な気がする。たいていの場合、その場観察はムズイ。すべてが終わってからサンプルを取り出して、見えやすいように処理して観察するより、感度とか条件制御とかの要求が細かい。

ひょっとしたら人間は近代になるまで、まとまったサンプル数のその場観察ができなかったんじゃね? 自分ひとりだったらOK。枕草子とか徒然草とか、もちろん外国にも色々ある。歴史的一大事ではない、日常的なこう感じる、こう考えるを共有&共感できる。でもサンプル数は少ないよね。

テキストを残せる人は少数、読める人も少数、となればしょうがない。日常的要素でつながれるのは良くて数十人くらいな予感。さらにここから共通項を探すとなるとかなり難しそう。

街頭に出たって同じこと。人が少ないし、境遇も様々。群像劇は出来るかもしれないけど日常に潜む神秘はとらえにくそう。

これが近代になるとやっとサンプル数が増えて、条件をそろえて観察できて、って感じじゃね? 観察結果をもとにしてより良い社会を作る社会学や、人間とは何かに迫る文学が新しい方向に発展していった、みたいな印象を受ける。

まあ、正直この本に書いてあることの半分も理解できなかったけど、こうなふうに勝手解釈してます、知らんけど。面白いかどうかは物凄く人それぞれ。それでも能動的に読めば楽しめた。勉強になりました!

↓わりと予定調和的な気がする。

↓村上春樹と行く推しバスツアー。

↓まず確実に共感を得られる恐ろしい策略。

↓歳を取ったら色々とケアが必要で時間かかる。多分普遍的な課題ですな。

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