*「晴耕雨読その他いろいろ」2024/9/20投稿記事の修正転載です
「グレ-ト・ギャッツビー F.スコット フィッツジェラルド」は子供の話(2024/9/20)
ストーリーが成金物語でテーマが子供、キャラクターはギャッツビー。大人の中に子供が一人、みたいな話。子供のままでいさせたキッカケが声、正体は幻想じゃね?。

子供でいたい
トイザらスのCMじゃないけどずっと子供でいたい。たとえそれが元で殺されるとしてもそっちの方が魅力的な気がする。
子供でいるのも難しいんだろうけどね。子供の美点があって、ダメポイントもある。大人にも良い所、悪い所がある。子供から大人になる過程で美点を残してダメポイントを改善し、大人の良い所をゲットするのが理想。
なんだけどこれが難しい。なにしろ人間は意志が弱いから美点を捨てたり、ダメポイントを残したり、大人の悪い所を見習ったりする。もっと難しい話まで行くと良い悪いは表裏一体だったりする。ある場面では強みになる特徴が、別の場面では弱みになるかも。
あとはセットだったりするとややこしい。ある美点は問題を引き起こしやすい、とかそういうオマケ的なヤツ。ただしほとんどは難しい話までいかずにもっと単純に意志の問題な気がする。
わかっちゃいるけどやめられない、的な。気付けば流されててツマラナイ、妥協的な大人になっていくわけですよ。
そう考えると子供でいるには意志の強さが必要、ということになる。もちろん、子供のままでいたいという欲求は必要条件だけどそれプラス意志の強さ。子供の美点を捨てないようにし、大人の悪い所を身につけないようにする意志の強さ。
なんとなくだけど後者の方が重要であり意志の強さが試される気がする。これはムズイ。
エネルギー源は幻想
この小説に出てくるのはだいたい大人で、ギャッツビーだけが子供。それがギャッツビーの魅力であり問題なんだと思う。もともと素質があったんだろうけどギャッツビーを子供のままでいさせたのはデイジーの存在。それも特に声なんだろうと思う。
僕が見落としてるだけかもだけどデイジーはそこまで魅力的ではない。声に関する記述はたくさん出てきて何しろ聞こえないもんだからそんなもんかと思うしかない。
舞台とか映画とかだとこれはとても難しいと思う。役者の声がイマイチだと、ギャッツビーを子供にとどめたエネルギー源がわからなくなる。
じつは、若い時分に手に入らなかったものなら何でも良かったのだよ、と言われればそうなのかも。デイジーの声を核にして幻想が膨らんだ結果と考えれば納得できる気がしてきた。だとすればこれはすごいエネルギー源であり何かに使いたくなってくる。
だってギャッツビーを大金持ちにしたわけだよね。しかもリスクをともなう危険エネルギーではなくエコ。幻想から覚めるときにちょっと気を付けないと暴走してひどい目に会いそうだけど危険度は高くないんじゃね?
と、思ったんだけどこれは割とみんな使ってるか。憧れて頑張って手に入れて、そうでもなかったかなー、なんて。そうやってちょっとずつステップアップしていくと考えると身近なエネルギー源っぽい。
ギャッツビーはここから大きなエネルギーを得たわけだ。同じような幻想をどれだけの効率でエネルギーに変えられるかは何に寄るか? ……なんとなくだけどこれもまた子供っぽさにかかっている気がする。
冷めることなく、諦めることなく憧れ続けられることは有利な特性じゃね? などと今日も余計なことを考えて満足。良い感じに憧れをエネルギーに変えてステップアップしたいですなぁ。
↓冒頭が印象的。こりゃ映像にしたら映えるよね。
↓別々の話がくっついてね?って疑問も双極性なら納得。
↓身内になるとめっちゃ心地よく、そうでもないとアレな予感。
↓登場人物全員が怖い感じ。
↓ぶっちゃけ内容覚えてないんだけど、僕はどうしてこんなこと考えたんだろうね。






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