*「晴耕雨読その他いろいろ」(2024/7/5)投稿記事の修正転載です
「一人称単数 村上 春樹」で今日もとりとめなく色々考えた(2024/7/5)
ストーリーが色々喪失物語でテーマが喪失と達観、主人公は歳を取った村上春樹。なんかいつもと違う雰囲気、なんだけどそれすら計算なのかも。

飛車取り王手
ちょこっと読んで、それとタイトル&表紙の雰囲気からおそらくこれは孤独についての話だろうと思った。最終的な印象は喪失と達観。何かを失ったことと、それについてしょうがないよねって達観しているイメージの本。最初の直感は中らずと雖も遠からず?
なんとなくだけど村上春樹っぽくないなと思った。わりと新しい本だからそう思ってしかるべきかもだけど。上手くいえないけど何かが違う。昔の話だったら「やれやれ」って肩をすくめる。そこには「面倒くさいけどしょうがないからやるか」みたいなポジティブさとユーモアがある。
この本に出てくる話は違う。黙ってグラスを傾けるイメージ。しかも中身はウィスキーとかの渋いお酒であって、ビールじゃない。ポジティブではないんだけどかといってネガティブでもない。ニュートラルであって「そういうもんだから」って達観している雰囲気。
昔は何かを失いそうになると抵抗したけど、今はそういうもんだと思ってる。だからニュートラル。っていう達観。諦念とも違う。寂しく思ってないって言うと噓になるかもしれないけどそういうもんだと思ってる。そんな変化を感じる。
何が言いたいかって言うと歳を取った村上春樹の本であって昔とは雰囲気違うよ、ってことです。個人的には昔の方が好き「やれやれ」って言って肩をすくめてほしい。でもこればっかりはしょうがない。歳を取れば変わるもんだし。
と、ここまで考えて村上春樹の恐ろしさに気づくわけだ。小説の面白さのひとつに共感があると思っている。でも共感を持ってもらうのは難しい。みんながみんな、同じような経験をしているわけではないから。
ただし、読者にはひとつだけ必ず共通の経験がある。その本を読んでいる、という経験。だから本の中で経験させたことで共感させられれば良い。良いって言っても難しいんだろうけど。
この本はおそらくそれを実行している。テーマとして喪失と達観を扱い、昔とは違った雰囲気を漂わせる。後者は簡単だ。だって多かれ少なかれ変わるし。変わった結果が好ましいと感じれば、それはそれでOK。読者は良い読書体験を得る。
いっぽうであまり好ましくなければ、読者は喪失を味わう。でもって、まあ歳を取ったし、ある程度しょうがないよね、と思う。するとテーマに一層共感する。これはとてつもない戦略、飛車取り王手じゃね? もう歳取ったとかそんなの関係ない。やっぱり恐ろしい人だと痛感。
妄想山菜取り
上記はすべて僕の妄想です。村上春樹はそんなこと考えてないしそもそもテーマからして見当違い、なんて可能性も高い。けど、それはそれで良いと思ってる。
流行りの曲が替え歌にされて当初の意図と全然違うふうになってもしょうがない。本人は面白くないかもだけど公表するってのはそういうもんだよね。小説も漫画も映画も、すべての創作はそういうもの。中でも小説は情報量が少ないから勝手に曲解されやすい。読む方としては妄想が捗る。
これは山菜取りに似ている。これがテーマじゃないかなー、と気になりはじめるとアンテナ感度が上がって次から次へと気になる表現が目に付く。結果としてただの妄想にそれっぽい筋道がついてくる。もちろん見当違いとか、軌道修正なんかもあるけどそれ自体含めて面白い。
その傾向は純文学で強い。山に分け入ってわかりにくいテーマを探し出し、関連する証拠で補強していくわけだ。エンターテインメントは八百屋、あるいは初心者向けのレジャー山菜取り体験コースっぽい。
もちろん八百屋は便利だし、体験コースも好きだ。だけど本格的山菜取りの達成感は格別。たとえ見当違いであっても自分で探して、自分で納得した発見は宝物じゃね?
これは脳トレとも通じるものがある。街に出て赤いものを探すのも、山に入って山菜を探すのも脳トレ。それが読書でできれば様々な脳番地に刺激がありそう。などと今日もとりとめもなく勝手に妄想しました。面白かった!
↓昔に比べて海外旅行ってハードル上がったよね。
↓かっこう、とか魅力的な返答だよね。
↓ここは一体どこなんだ感がすごい。
↓10年後、我が家は超汚い。
↓自分はキレイ好きだと思ってました……。









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