『1973年のピンボール 村上 春樹』で自らのスイッチオンを確認

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*「晴耕雨読その他いろいろ」2020/3/13投稿記事の修正転載です

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「1973年のピンボール 村上 春樹」(2020/3/13)

ストーリーはいつもの調子で、テーマは繰り返し。テーマは何だろうなぁ、と思うことは多い。でも小説読んでストーリーは何だっけか?ってことはあんまりない。反対にテーマは不明確。っていうかここで僕が言うテーマって僕が勝手に気になった点なんだけどね。

この間も書いたが文章、っていうか雰囲気って重要だよね。相変わらず村上春樹△。目が覚めたら双子に挟まれていた経験のない僕にはとても出せない雰囲気だ。

繰り返し、ってのは超気になる。たしかに入り口はあったはず、出口もきっとあるんだろう。でもその間の道のりはどれだけ長いか、どれほど繰り返せば良いのか。

会社に行って、仕事して、帰って来て、寝て、翌日になって、の繰り返し。週末はあっという間に終わる。あれこれしたいことはあって、でも驚くほど早く月曜日がやってくる。年三回の長期休みも同じ。多かれ少なかれ誰もが経験あるのでは。会社、学校、家事、どれも同じだ。

出口の向こう側にお花畑でも待っていれば良い。けど世の中見回すとそうでもないみたい。ひと息つける程度のスペースが仮にあったとしても、そこまで後どれほどかかるやら。

おそらくだが僕は一度その状態になっている。薄っぺらい毎日を感じる状態。そして多分今は違う。ってのは言い過ぎか、漠然と不安を感じ、その後マシになった程度?

その前後で何が変わったか? おそらくスイッチが入ったっぽい。僕の場合趣味、運動、勉強などなど。どれが正解か分からないしひょっとしたら複合効果かも。読書やら創作が楽しい時、運動してご飯がおいしいと感じる時、勉強して成果が見られた時、僕のスイッチオンを確認する。

すると繰り返しや道のりの長さは気にならなくなる。気のせいかもしれないが時間の流れがゆっくりになった。歳取ると時間が経つの早くね? なんて言ってたのが今はそれほど感じない。一日に厚みが増したような、濃くなったような感じ。

ひとことで言えば、充実してるね、なんだろう。でももうちょっと色々あったような。

しかしどうなんだろう。それって正しいことなのか? 色々頑張って充実してる状態にして、でもどうせいつかは死ぬんだ。そもそもその前に慣れてしまって充実が惰性になるんじゃね?

多分この考えに答えはない。でも僕は今スイッチオン状態だ。なので楽しけりゃいいじゃん、と思う。願わくばできるだけ長続きしますように。色々と考えてしまう面白い本でした。

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