『ダリアの笑顔 椰月 美智子』は大人と子供の感覚がリアルで面白い

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*「晴耕雨読その他いろいろ」2016/9/1投稿記事の修正転載です

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ダリアの笑顔 椰月 美智子

・家族4人、それぞれの目線で見た日常話
大人と子供の感覚の違いがリアルで面白い
・何故か昭和っぽい

普通に面白かった。最初の話は気の弱い小学生の女の子が日記を見付けて徐々に変わっていくって話でこの手の話が続く短編集かと思った。実際そうなのだが主人公が家族4人の話なので目線の違い、感覚の違いが面白い。

子供が読んだら親の感覚が新鮮だし大人にとっては両方の目線を経験してるから「そうそう」って共感できる。確かに子供にとっては親は不変であり昔っから今のまま、ってイメージがある。反対に大人は忘れているが子供は子供で色々と大変なのだ。

今考えれば20代だなんて子供である。社会に出て数年、まだまだ不安定で頼りない存在だ。

でも子供にとっては親は絶対であり間違わない存在。知り合いの子供は天候すら親が決めていると思ってたとか。少しずつ大きくなって、そうでもないってわかってもやっぱり親は圧倒的に頼りになる存在であり続ける。

親の方も徐々に変化しているのだが、子供自身の成長が速く、あまりにも変化が大きいので気が付かない。子供が親の変化に気が付くのはちょっと大きくなってから、アルバムを見たり、離れて暮らして久しぶりに会った時だ。それまで親は不変であり、成長するとか考えない。

だからこの本のように昔の、それも子供が産まれたばかりのまだまだ不慣れな状態の親の姿がとても新鮮なのだ。

実は僕にも同じような物があり、僕が産まれたばかりの頃の写真に添えられた母のコメントが残っている。ああ、これは面白い、是非やろう、と思ったが自分が親になった時はすっかり忘れてた。

反対に親はすっかり忘れている。子供は気楽だなぁ、だなんて考えてしまうが色々考えることがあって大変だった、なんて覚えていない。あるいは覚えていても、今に比べれば大したことないでしょ、とか過小評価する。そりゃそうだ。喉元過ぎたのだから熱さは忘れているのだ。

でも子供にとっては世の中分からないことだらけ、不安だらけだ。空気が当たり前でありがたさを感じないように僕らの日常にも当たり前に知っていて、知っていることのありがたさ、安心感を感じさせないことがたくさんある。

散歩ひとつ、買い物ひとつでも子供にとっては分からないことの連続だ。そもそも文字も計算もわからないのだ。常識だって知らなかったりする。で、それで怒られたりするのだから理不尽極まりない。

その機会が少ないので認識しづらいが文字も習慣も全く知らない国に行くようなものだ。「風が通らなくて暑いでしょ! ドアは開けておきなさい!」と怒られ、慣れたと思ったら「暖房の暖かい空気が逃げるでしょ! ドアは閉めなさい!」と怒られたりする。理不尽だ。

そういう新鮮だったり懐かしかったりする感覚を与えてくれる面白い本である。あと全然関係ないんだけど何故か昭和感が漂う。メールとかパソコンとか出てくるのだが昭和っぽい。特に最初の話が昭和。なんでだろう。

内容としては日常のちょっとした気付きであり普通のお話の連続、でもそれが集まって面白い、みたいな、悪く言えばインパクトが足りない、みたいな、ある意味ホントの日常生活のようななリアルさがある。

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