「空とセイとぼくと 久保寺 健彦」は面白いけど描写少な目で淡々

banner-02book-00novel 小説

*「晴耕雨読その他いろいろ」2015/3/9投稿記事の修正転載です

広告

空とセイとぼくと 久保寺健彦(2015/3/9)

今回は息子ではなく僕が選んだ。作者の久保寺健彦はいくつかの賞をもらっていて、中には映画化されたものもある。やはり図書館の本は大抵何らかの受賞経験がある有名作家の作品のようだ。

では面白かったかというと、まあすぐに読んでしまった位だから面白かった。しかし何か奇妙だ。何がおかしいのだろうかと考えながら読んで、途中で気が付いた。物事の描写が全然ないのだ。

例えば今日僕は会社に行った。そしたら「今日僕は会社に行った」と書くような感じで、事実が報告書のように淡々と描かれている。小説とはもっと形容が変化に富んでいて印象的で、お話の面白さはもちろん重要だが、物事の描写も重要なのではないだろうか。

でもまあ主人公の生い立ちを考えると、逆にその淡々とした感じが真に迫る、ような気がする。この人はこんな感じの淡々とした文章が特徴的なのか、それともこの本では意図してこうしているのか、どちらにしろ僕にはイマイチ合わなかった。

↓こちらもピンとこなかった。これって読む側の感度の問題じゃね?

↓ケチケチ感度は昔から高かった。

↓この餅つき機の面白ポイントはパンの生地をこねられるところだったりして。

↓この本はピンときたみたいだけど妄想は広がらない。

↓最近はただ読むだけではない、アクティブな読書を目指してます。

↓同じ棚をもう1つ、さらにホコリ避けなしを3つ作りました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました